(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

利益と不利益をコインの表裏のように見るのはやめようよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第14回

 ドーキンス利益と不利益をつねに表裏一体とみなします。したがって、他に利益を与えると「かならず」自分が不利益をこうむることになって、「他に利益を与え、他から利益を与えられる」関係がこの世には存在しないことになります。ところが現実には、「利益の与えあい」は存在します。では、このように現実とは一致しない、利益と不利益をつねに表裏一体とする理論のほうを改めることにいたしましょう。


 利益と不利益をつねに表裏一体と見るとは、何度も申し上げている通り、「利益を得るとはかならず他に不利益を与えことであり、他に利益を与えるとはかならず自分が不利益をこうむることである」とすることです。この一文の後半節である「他に利益を与えるとはかならず自分が不利益をこうむることである」とする部分をここで修正しましょう。「他に利益を与える」場合には、自分が不利益をこうむる場合だけではなく、「他から利益を与えられる(利益の与えあい)」場合もあります。この後半節にある「かならず」という言葉を削除します。そして、この後半節をこう言い改めます。


 他に利益を与える場合には、自分が不利益をこうむることになるときもあれば、他から利益を与えられるときもある、と。


 前半節もあわせて言えばこうです。「利益を得るとはかならず他に不利益を与えることであるが、他に利益を与える場合には、自分が不利益をこうむることになるときもあれば、他から利益を与えられるときもある」。 こう修正すれば理論上でも、「利益の与えあい」はこの世に存在することになります。「利益の与えあい」に関して、理論と現実の不一致はなくなります。したがって、ドーキンスがやったように、「利益の与え合い」を、遺伝子による利己的行為二つが重なったものへと読み替える必要もなくなります*1


 さてこのように「利益の与えあい」がこの世に存在することをうけ入れられるようになった俺たちは、この世を「押しのけあい」(利己的行為)一色でぬりつぶしたがる群淘汰論者やドーキンスですら見落としていると思われる種類のあらたな「押しのけ」を考察のなかに入れられるようになりました。


 いままで触れられることのなかったその新たな「押しのけ」をここで僭越ながら、三者の押しのけ、と名づけることにします。群淘汰論者やドーキンスは、この世を集団あるいは遺伝子による「押しのけあいの世界」とし、一見、他者を「押しのける」行為を最重要視しているように見えますが、じつのところ、いま申し上げましたように、「押しのけ」を考えるさいに忘れてはならない、辛気くさい「第三者の押しのけ」を見落としているように思われます。

つづく


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*1:2018年8月6日付記。利己的行為という言葉にかかっていた〈〉をとり外しました。