*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第19回
じっさいドーキンス進化論の礎であるダーウィンは、マルサスの『人口論』を読んでいて進化論に思いいたったと言っています。
第3章で論じるのは、この世のすべての生物が、指数関数的な高い増加率をもつ結果として経験することになる「生存闘争」である。これは、マルサスの原理を動物界と植物界の全体に適用した議論である。どの生物種でも、生き残れる以上の数の子どもが生まれてくる。しかもその結果として、生存闘争が繰り返し起こる。こうした状況下では、自分自身の生存にとって少しでも利益となるような変異をそなえた個体は、たとえそれがいかに小さな変異であっても、複雑で変化しやすい環境下において生き残る可能性が高くなるはずであり、自然によって選抜されることになる (ダーウィン『種の起源(上)』渡辺政隆訳、光文社、2009年、21頁、1859年)。
ここでダーウィンは「どの生物種でも、生き残れる以上の数の子どもが生まれてくる」と書いています。どの生物種でも、この世に存在する利益ではまかないきれない数の子供が生まれてくるという意味(それらすべての子供が必要とするだけの利益はこの世には存在しないという意味)ではないでしょうか。で、「その結果として、生存闘争が繰り返し起こる」。すなわち、参加者の数には満たないイスをめぐってイス取りゲームが起こるという考えかたなのではないでしょうか。進化論で用いられる生存闘争とか生存競争という言葉は、こうしたイス取りゲームを指すもののように思われます *1。「単独で利益を得る」場合がこの世にあるのか、それとも、利益を得るとは「かならず」他に不利益を与えることでしかないのかを見極めるには、じっさいにその地域その地域に存在する水やその他の非生物的資源(利益)が、周囲に棲息する生物すべての必要とする量を上回るのか、下回るのかを考えなければなりません。が、クソである俺には、それをどう確認すればいいのかまったくわかりません。ただ自然災害にあわないで生きていられるという、誰もが一見当たり前に思うかもしれないが、よく考えてみると実は大変な幸運は、「単独で利益を得る」ことのひとつに数えられても良いように思われます。
で、実際、他生物を食べるようなときにはかならず利益と不利益は表裏一体にはなるものの、それ以外のときには「単独で利益を得る」という場合があるとしますと、この世は生物個体が「単独で利益を得」たり、利己的行為、利他的行為をとったりうけたり、「利益の与えあい」をしたりする、四色刷の世界であるということになります。また利益や不利益の得かたにはこれらのほか、先達から技術を教えてもらい、次世代に技術を伝えるといった「他Aから利益をうけ、他Bに利益を与える」ものや、利他的行為をなしたひとをねぎらう場合のような「他Aに利益を与え、いったん自分は不利益をこうむるが、あとで他Bから利益を得る」といった関係、さらには、単独で不利益を得るとか、不利益を与えあうなどといった、いろんな利益・不利益のありようが考えられるでしょうけれども、この文章では不問に付しておくことにします*2。
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