(新)Nothing happens to me.

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ジイジやバアバの言うこともあながち悪くないね

進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第23回

 進化論は、「誰が生き残るのか」という問いを立て、それに「他を押しのける者」と答えるものです。けれども進化論が実際に立てるべき問いは、「跡継ぎがつぎつぎと続いていくのは何か」ではないかといま異議を申し述べました。さらにはここで、「誰が生き残るのか」という問いに進化論がだす、「他を押しのける者」とする答えについても異論を表明させていただきます。


 俺たちはドーキンス進化論の検証をとおして、進化論の、生きるために利益を得る手は「他を押しのける」ことしかないとする、利己至上主義とでも言うべきものを目の当たりにしてきました。しかし、「誰が生き残るのか」という問いに進化論が「他を押しのける者」と答えるにいたる次第をつぶさに点検してきた俺たちにはもはや、生きるために利益を得る手は「他を押しのける」ことしかないとは考えられません。「誰が生き残るのか」という問いにたいする適切な答えは、「生かされる者」だと思われます。


 生物個体が、生きるために利益を得る手を俺たちは、利己的行為  「他を押しのける」こと  のほかに、三つほどみとめられるようになりました。利他的行為、「利益の与え合い」、「単独で利益を得る」場合の三つです。 俺は「他を押しのけ」て利益を得ることがあります。そのさい俺は利益を得、他に不利益を与えます。すなわち、他の犠牲のもとに利益を得ます。利他的行為を受けるという利益の得かたもあります。すなわち、尽くされるわけです。「利益の与え合い」をして、持ちつ持たれつすることもあります。「単独で利益を得る」こともあるように思われます。自分が利益を得ても、他が利益を得るのでも、不利益をこうむるのでもない場合です(利益を得ることが「イス取りゲーム」ではない、いわば恵まれた場合です)。利益の得かたはこのように、「他を押しのける」ことひとつっきりではありません。俺たちは、他の犠牲の恩恵をこうむったり、尽くされたり、持ちつ持たれつしたり、自然に恵まれたりといったふうにして利益を得、生きていきます。


 では、こうした四つの利益の得かたをして生きることを普段俺たちは、なんと言っているでしょうか。 「生かされる」と言っているのではないでしようか。


 ジジむさいと笑われるかもしれませんが、そんなことはいっこう意に介さず、ご提案させていただきます。「誰が生き残るのか」という問いには、「生かされる者」とでも答えるべきではないでしょうか。「優れた者(強い者、適者)が生き残り、劣った者(弱い者、不適者)が消えてゆく」のではなく、「生かされる者が生き残り、生かされない者が消えてゆく」とでも答えるほうが適切ではないでしょうか*1

つづく


前回(第22回)の記事はこちら。


このシリーズ(全24回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年8月10日付記。利己的行為という言葉にかかっていた〈〉と、利他的行為という言葉にかかっていた《》を、とり外しました。