(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

進化論は仲間はずれをどうお考えなのかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第15回


「第三者の押しのけ」とは何だとみなさんはお思いでしょう。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 


「他に利益を与え、他から利益を与えられる」という「利益の与えあい」についてはすでに、売買、労働、取引、飼育・養殖などの例を挙げて確認しました。では、ここからしばらくのあいだ、みなさんには、それらの例を念頭に置きながら、俺をコンビニエンスストアに勤めている従業員と想定していただくことにいたします。


 みなさんの想像のなかの俺は、早速みなさんにこう申し上げます。


 わたくしどもはお客さまに、食べ物や飲料や雑誌やウコンを提供いたします。で、その代わりにお客さまは代金をわたくしどもにお支払いになります。いまお客さまがおひとり、パンとコーヒーをもってレジにいらっしゃいます。そして、レジにいる店員に代金をお支払いになります。するとわたくしどもコンビニエンスストア側は、金銭という利益を得、いっぽうお客さまもコンビニエンスストアから、パンとコーヒーという利益を獲得されることになります。


 想像のなかの俺がそう「利益の与えあい」についてみなさんにご説明申し上げているとき、トラックが駐車場に止まる大きなブレーキの音がします。それを耳にした俺はつづけてこう申し述べます。


 あれは、お弁当や雑誌やウコンといった商品を運んできてくれる配送車です。


 そう申し上げるのをお聞きになったみなさんが、店の入口のほうを振りかえられますと、ちょうどそのとき、配送車の運転手が、商品を山のように乗せたカートを押しながら店内に入ってきます。俺は説明を続けます。


 あのひとは、コンビニエンスストアの店員であるわたくしからしますと取引先のひとに当たります。取引先のこのひととわたくしどもはある種の仲間です(とはいえもろん、利害対立がないとは申しません)。単純に考えれば、当店でたくさん売買が成り立つと、このひとのためにもなると思われます。 先ほどお客さまがパンとコーヒーを買っていってくださいましたけれども、これを厳密に考えますと、お客さまは当店のみならず、いま申し上げた配達先のほか、農家や工場などにも利益を与え、逆に、当店、配送会社、農家、工場などから利益を与えられたということになります。お客様、当店、配送会社、農家、工場のあいだで、「利益の与えあい」が起こったことになります。


 ここで急に想像のなかの俺は、テレビに出てくる悪代官のような笑みを満面に浮かべながら、みなさんのほうに脂ぎったデカイ顔を寄せて耳打ちします。


 何を隠しましょう、この地域ではわたくしの勤めるコンビニエンスストアのひとり勝ちです。このあたりにお住まいの消費者、取引先、当店等とのあいだには「利益の与えあい」のつよくかたい、黃金の結びつきができてございます。周囲の小売店は、この黃金の結びつきの蚊帳の外でございます。


 さて、いま想像のなかで、気持ちの悪い俺はこう申し上げました。周辺の小売店は、当店、消費者、取引先等によってできあがった「利益の与えあい」の蚊帳の外になっている、と。


 これこそ、俺が先ほど「第三者の押しのけ」と呼んだもののことです。


 これまで繰り返し、利己的行為について見てきました。それは「自らの利益を得、他に不利益を与えること」でした。そこで、利己的行為を、他を「押しのける」ことと言い換えもしてきました。 しかし他者を「押しのける」のは、自分が利益を得、他に不利益を与えるこの利己的行為に限られません。そのほかにも、第三者(この例の場合なら他の小売店)を「利益の与えあい」の蚊帳の外に置く(押しとどめる)という「第三者の押しのけ」もあります。


 こうした「第三者の押しのけ」は特に経済活動(だけではないでしょうけれども)の分野では、いつも問題になるもののように思われます。会社を経営されておられたり、会社経営にご興味を持っておられたりするかたは何より、こうした「第三者の押しのけ」にとても気を配られているのではないでしょうか。経済にも疎い、寡聞で愚か俺ですが、どのような業界にも、「利益の与えあい」の蚊帳の外に第三者を置くという「第三者の押しのけ」が見られるように思います。各業界にある、新規参入を拒む体質と言われるものはそうしたものの最たる例ではないでしょうか。また、「利益の与え合い」のつながりを保持しているひとたちが、「利益の与え合い」のつながりのなかに入れないひとたちから、既得権益者と呼ばれて批判されているのを聞くこともよくありますが、最近とくに問題になっている社会内格差はそのひとつでしょう。こうした格差は、「第三者の押しのけ」を考慮しないと説明がつかないにちがいありません(それとも、そんなことはないのでしょうか)。


「自らの利益を得、他に不利益を与える」という利己的行為も生々しい過酷なものです。けれども第三者を「利益の与えあい」の蚊帳の外に置くという「第三者の押しのけ」もまた、それに負けず劣らず、生々しいにちがいありません。いったい「第三者の押しのけ」とは何でしょうか。それは単純にいえば、仲間はずれのことです。たしかに利己的行為で他から不利益を与えられたり、利他的行為で自ら不利益をこうむったりするのは、この世の過酷な一面です。ドーキンスたち進化論者はそうしたこの世の過酷さから決して目を背けることなく、積極果敢にそうした一面をこの世の事実としてうけとめようとします。そのためにときには何か意地が悪いくらいに、世界にはあんな過酷な利己的行為がある、こんな過酷な利他的行為があると、この世の過酷さを強調しすぎているように感じられるときもないではありません。が、過酷さからけっして目を背けないドーキンスの進化論でさえ、非常に厳しく、かつ悲哀にみちている「仲間はずれ」をすっかり忘れているような気が俺にはします(もろちん気のせいにすぎない可能性もありますが)。しかしいつだって俺たちは、仲間はずれにされるのを恐れたり、仲間はずれにされて困ったり、他者を仲間はずれにして喜んだりすることに忙しいのではないでしょうか。


 果して、「利益の与えあい」の蚊帳の外に第三者を置いたり自分が置かれたりするといった、俺たちが毎日気にする「仲間はずれ」が進化論には十分に反映されているのでしょうか。

つづく


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