(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

同じ原因から生じたのか、別々の原因から生じたのか

原因をさがし求めて第3回

 手順最初からあらためて、いま述べたことを確認する。


 何度もいうように、私が認知症になったという出来事ひとつしか見ないのでは、私の身体のなかのどの部分を、認知症を生じさせた原因部分と認定すればよいか見当はつかない。そこで認知症になった他のひとの事例を複数集めてくることになる。


 ところが、そうして事例を複数集めてきても、それらの事例が別々の原因によって生じさせられたものだということになると、それらの事例すべてに共通して見つかるものとして、認知症を生じさせた原因を探すことはできなくなる。それぞれの事例ごとに、認知症を生じさせた原因を、別々に特定しなければならなくなる。


 こうして、出来事ひとつだけを見て、認知症の原因を特定しようとしていた振り出しにもどることになる。しかし出来事ひとつだけしか見ずに、原因部分を特定することはできなかった。そのためにわざわざ、認知症になった他の事例を複数集めてくることにしたわけだった。


 つまり、集めてきた複数の事例が、同じ原因からしか生じてないと断定できる場合でなければ、この特定法では原因は特定できないということである。


 たとば発がん性物質と呼ばれるものはこの世に複数あることになっている。そのように、単独でがん細胞を生じさせる原因は複数あるとされる。したがって、がん細胞ができたという事例を複数集めてきても、各事例は別々の原因から生じたものかもしれないということになる。それらの事例すべてに共通して見つかるものとして、がんの原因を探すことはできなくなる。こうして、がんの原因は、いま点検した原因特定法では特定できないという結論に至ることとなる。


 だがこの手法で特定できないのは、がんを生じさせる原因だけだろうか。認知症を生じさせる原因はがんの原因とはちがって、この世にたったひとつっきりなのだろうか。たったひとつこっきりしか認知症は原因をもたないと、その原因を特定するまえに断言できるとすればそれはなぜなのだろうか。まだ原因を見つけてはいないのに、原因はひとつこっきりしかないと断定できるのは、どんな場合だろう。私にはまるっきり見当がつかない。それとも見当がつかない私が愚かなだけだろうか(たしかにその可能性は非常に高い)。


 しかし、まだ原因を見てもいないのに、「同じ事例(同じ結果)は、同じ原因からしか生じない」と勝手に決めつけるわけにはどうしてもいかない。はたして、事故や病気といった出来事の原因を特定するときにこうした原因特定法をつかっていいのだろうかという疑いは、いろ濃く胸のうちに残る。ひとの命でバクチでもやるつもりなら話は別であるけれども。

つづく


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