(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

ガンを生じさせる原因はあるのか

 事故が起きるとします。するとテレビがさっそくその事故について報じます。そして番組内では、道行くひとがレポーターに感想を聞かれちゃったりなんかして、こんな言葉を返します。


「はやく事故の原因を解明してほしいです」


 スタジオにカメラが切りかわったあともまた、アナウンサーが話の閉めに、「一刻も早い原因の究明が必要です」とのたまいます。


 テマヒマさえかければ事故原因が明らかになるのは当然だとばかりに、誰も彼も(?)がそう言うわけです。


 かつて、アメリカ合衆国、第37代大統領、リチャード・ミルハウス・ニクソンが1971年にガン撲滅宣言をだしたとき、ひとびとは、ガンの原因が特定されるのはもう時間の問題だと思ったのではないでしょうか。そして、原因さえ見つかれば、ガンは撲滅できるにちがいない、と考えていたのではないでしょうか。


 ガン細胞を生じさせる原因を特定しようと、こんにちにいたるまで研究者たちが重ねてきた苦闘については、マサチューチェッチュ、じゃない、マサチューセッツ工科だいぎゃきゅ……MITにお勤めのRobert Weinberg教授が、『裏切り者の細胞がんの正体』(中村桂子訳、草思社、1999年*1)に詳しく書いています。1998年に出版された本(日本では翌年)ですけれども、それから17年たったいま、彼が学術誌「セル」に挑発的なエッセイを寄せたとの報が、僕たちのもとに寄せられました(すみません、単に僕がネットで、つぎのWebニュースに出くわしただけです)。


※長田美穂「がんの特効薬が見つからない本当の理由/『がんが自然に治る生き方』翻訳者のレポート(4)」 http://president.jp/articles/-/15900

president.jp


 どうやら彼は、ガンに関する見方を変えたようです。この報に少し耳を傾けてみましょう。

マサチューセッツ工科大の生物学者で、世界的ながん研究者であるロバート・ウェインバーグ氏は、学術誌「セル」に、次のような挑発的なエッセイを寄せました。1950年代の研究者たちは、がんの正体をこう考えていました。がんとはきわめて複雑なプロセスである。何千通りも、とまではいわないものの、何百通りの道筋があって発生する、と。そこで研究のターゲットは、この複雑に入り組んだ道筋を単純な原則として解き明かすことに、絞られました。おそらくウィルスが原因なのだろう。この発想が、ニクソン大統領の「がん撲滅」宣言のベースにはありました。


 物理学では出来事を一箇所のせいにしようとはしません(そうド素人の僕は思っています)。ビリヤード台のうえを転がる9番ボールの軌跡を説明するのに、物理学では、9番ボールにかかる力を複数想定します。衝突してくる白球から加わる力、台表面からかかる垂直抗力と摩擦力、地球からかかる重力などなど。9番ボールの軌跡を、たったひとつの力のせいにするのは不可能です。


 ところが、生きものを説明する段になると科学は急に一箇所のせいにするようになると、不肖僕はお見受けしております(この一箇所が原因という名で呼ばれます)。脳のせい、遺伝子のせい、ウィルスのせい云々。


 ガン細胞が身体のなかにできるという出来事についても科学は一箇所のせいにしようとします。当初はウィルスのせいにできると考えたようです。

ところがこのウィルス説は、その後、くつがえされます。がんの原因はウィルス(だけ)にあるのではなく、「遺伝子の突然変異」にある、という考えが浮上しました。


 ガン細胞が生じるという出来事は一転、遺伝子という一箇所(一箇所というのはおかしな言い方になるかもしれませんが)のせいにされることになりました。

ウェインバーグ氏によると、1980年代初期には、がんの原因となる変異遺伝子の数はそう多くなく、それを解明すれば、ほかのすべてのがんについても構造がわかるはずだ、と考えられていました。物理の法則のようにシンプルに、がんの構造をときあかせる日が来るはずだと、科学者たちは考えていたのです。


 さきほど挙げました『裏切り者の細胞がんの正体』という本に、ガン細胞を生じさせる変異遺伝子を見つけることの難しさが書かれています。原因だと思われた変異遺伝子が、追試をしてみても確かめられなかっただとか、つぎからつぎへと、原因として挙げられる変異遺伝子が増えていくだとか。

けれども近年、そのアイデアも間違っていたとわかりました。残念ながらいま、明らかになったのは、がんの本質は、単純に説明のつくものではない、ということ。


 つまり、ガン細胞ができるという出来事を、一箇所のせいにすることはできなかった、ということなのではないでしょうか。


 ガン撲滅宣言の声が発せられたとき、ガン細胞ができるという出来事を一箇所のせいにできると科学者は考えていました。すなわち「ガンができるという出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」があって、ガンができるすべての事例では、その「ガンができるという出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」が働くのだろうと推測していました。ガンができる事例はそのようにどれもこれも、原則おなじメカニズムによるものだろうと信じこんでいました。


 ところが、当初のこうした見立ては外れているとわかった、ということではないでしょうか。

一人一人のがんは、すべて異なっている。そしてその一人一人のがんさえも、日々、変化しつづけている。とてつもなく複雑で魑魅魍魎としたもの、それががんの正体なのだと。


 仮にガン細胞ができるという出来事を一箇所のせいにできていたなら(原理上不可能ですが)、この一箇所に働きかける薬剤を開発しようということになっていたのかもしれません。しかし、一箇所のせいにはできませんでした。現在、薬剤はこういうことになっているそうです。

そのうえで、今、薬の開発の現場では、遺伝子変異がおきる「道すじ(pathway)」をブロックする、という方法で研究が行われています。「道すじ」とは、細胞のなかの組立ラインのようなもの。細胞が生きて活動するためにおきる化学反応の工程のことです。細胞中の遺伝子はみんな、この組立ラインの そばに位置して生息しています。だから、この組立ラインの一定の場所をブロックしてしまえば、がんの進行は止まる、というわけです。けれども問題は、どんな薬も、1つのラインしかブロックすることができないこと。だからどうしても、薬をいくつも、いくつも組み合わせないと、がんは叩けない。そしてこの組立ラインは、1人のがん患者に何百どころか、何千種類もあるだろうと推測されています。もちろん、1人の人が、何千種類もの薬を飲めるわけはない。おまけに、がんの新薬は目が飛び出るほど、高い。アメリカでは抗ガン剤の新薬には、1人 年間1200万円程度の価格がつけられるのが相場だとか。毎月100万。保険が7割を負担してくれるとしても、なんと30万円。そんな高額なものを、組み合わせていくつも飲むとなると。一般人にとっては非現実的な話です。


 ガン細胞ができるという出来事を一箇所のせいにすることもできなければ、一箇所に働きかけるというやり方でガン細胞の増殖に歯止めをかけることもまたできない、というわけです(「1」へのこの強烈なこだわりを銘記したいところです)。


 冒頭で書きましたように、原因というものは当然見つかるはずだと、僕たちは事のはじめに決めつけてしまいがちです。今日は、ガン細胞ができるという出来事について、ウェインバーグ教授と、ウェインバーグ教授のエッセイを訳してくれた長田美穂さんのお力を勝手にお借りしまして、原因という架空の一箇所を探してみるが見つからないという事案について考えてみました。


 とはいえ、どうも僕の言っていることは的がはずれているような気がします。


 今日のところは、これくらいで勘弁していただきます。ではごきげんよう

(了)

 

*1:バート・ワインバーグ『裏切り者の細胞がんの正体』中村桂子訳、草思社、1999年