(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

科学の出来事観と物質観の変遷③

②につづく

 で、現に、いままでいろんな出来事の原因が特定されてきたことになっているが、それらは、「同じ出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」と言っておかしくないくらい、それが在るといつも同じ出来事が起こってくるものなのだろうか。


 医学はガン細胞を、「苦しみと死をどんな場合でも引き起こす一箇所」(原因)とするが、現にガン細胞が身体のなかにあっても平穏に生活しているひともいる(なかにはガン細胞が消失するひともいる)。また医学はノロウィルスを、「腹痛や下痢を主症状とする状態をどんな場合でも引き起こす一箇所」(原因)だとするが、ノロウィルスが身体のなかにあるのに、そうした症状をまったく呈していないひとも見つかる。


 薬剤はどうか。薬剤は世に出すまで、実験室でなんども細胞にじかにふりかけたりして、効果が確かめられるのだろう。動物実験もなされるのだろう。そこまで時間と命をつかい、出来事Xをもたらす薬剤を開発して世に出すのにもかかわらず、いざ市井で使われ出すと、その薬剤がどんな場合でも出来事Xを引き起こす、とは言えない結果がでるに至る。時や人によって、まったく利かなかったり、効き目が異なったりする。時と人によって副作用と呼ばれる悪しき効果が出ることもある(はげしい痛みや痙攣がでたという子宮頸がんワクチン摂取後の反応を、いまみなさんは想起しておいでだろう)。


 医学は、コーヒーや緑茶を、「どんな場合でも同じ出来事を引き起こす一箇所」とみなし、コーヒーや緑茶がどんな場合でも引き起こすその同じ出来事とは何なのかを突きとめようと疫学調査をするが、じっさいのところ、このまえはコーヒーを一日に2杯飲んで気持ちが悪くなったのに、今日は2杯飲んでもまったく気持ちが悪くならないということもある。


 もちろん、「同じ出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」(原因)と言ってもまったくおかしくないほど、その一箇所が在るとどんな場合でも同じ出来事が起こってくる物質等もあるだろう。毒物について何も知らないのに言うのはよくないかもしれないが、たとえば青酸カリなどの毒物を摂取すると、どんな場合でも死という出来事が起こってくるのだろう(毒物を、「どんな場合でも死という同じ結果を引き起こす一箇所」と認定しても一見、おかしくはないのだろう)。また、心臓が停止すれば、いつも血液循環の停止が起こってくるのだろう(心臓の停止を、「どんな場合でも血液循環の停止を引き起こす一箇所」と認定しても一見、おかしくはないのだろう)。けれども、そのことをもって、他の物質などすべてについても、それさえ在ればどんな場合でも同じ出来事が起こってくるものと決めつけることはできない。それは、ガン細胞、ノロウィルス、薬剤をさきほど例にだしていま確認したとおりである。


 そもそも、服毒死あるいは血液循環の停止という出来事を、毒物あるいは、停止した心臓という一箇所だけのせいにするのは論理的に無理がある。服毒死という出来事は、言ってみれば、身体のなかで、毒物、神経、臓器やが、「共にどのように在るか」というひとつの問いに一緒になって出した答えである。血液循環の停止という出来事もまた、その出来事に登場する、血管、血液、臓器、心臓などの存在が、「共にどのように在るか」というひとつの問いに一緒になって出した答えである。一箇所のせいにはできない。


 それにしても、物理学では出来事を一箇所のせいにはしないのに、なぜ、生きものを扱う段になると科学は急に、出来事を一箇所のせいにするようになるのか。


 物理学は出来事を把握するさいに、当の出来事に登場する存在ひとつひとつにつき、加えられる力を複数ずつ想定するわけだが、そんなやり方で、たとえば病気と呼ばれる出来事を解明しようということになると、どれだけ時間がかかるかわかったものではないし、そもそも解明自体不可能になるのではないだろうか。そこで、まずは一箇所のせいしておいて、あとで少しずつ出来事の解明を進めていけばいいと考えるのだろうか。研究が仮にうまく進まなくても、手始めにとにかく一箇所のせいにできているなら、その一箇所をとり除けば治療になるとも考えられるし、当座は困ることはないということなのだろうか。


 それとも人間同士はみな同じで、しかもその同じとは、まったく違いがないことを意味するとでも思っているのだろうか。


 以上、今日の俺はゴムボートに乗って、テトラポッドのあたりまで、ご覧のとおり、冒険(俺にとってはであるが)の軌跡を描いた(波にもて遊ばれている汚いゴムボートを、みなさんは豪華クルーザーのうえで見守りながら、ワインとリッツでもいただいておいでだったのだろうか)。原因とは、「同じ出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」という架空の存在のことである。カワグチ・サチジ・シリーズでは、原因丸々ひとつを特定することはできないと確認したけれども、それは、「同じ出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所」をさがしても見つからないということを意味していたのである。

(了)


今回は記事を①、②、③に分けてお送りしました。

①はこちら。

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②はこちら。

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