(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

ガンだけ見れば余命宣告ができると思えて楽ちん

*ガンを原因と思っていればなんでもできる???第2回


 今回は、ガンという一箇所にだけ配慮していれば未来予想や治療や予防ができるということならいかに楽ちんであるかということを、未来予想、治療、予防の順にひとつずつ確認していき、それをもって、前にやったガンについての考察(記事「『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん」*1のまとめに代えさせていただきます。


 まず未来予想から見ていきます。出来事を一箇所のせいにすると、どう楽ちんになるのでしょうか。


 繰り返しになりますけれども、未来に起こる出来事を予想するには状況把握と呼ばれる、辺り一帯への配慮が必要です。物理学は、未来に起こる出来事を予想するさい、その出来事に登場する存在をできるかぎり多く配慮しようとします*2。ところが出来事を一箇所のせいにできると考えると、たった一箇所にだけ配慮していれば未来に起こる出来事が予想できることになります。現に科学は、冒頭でも書きましたように、苦しんで亡くなった複数のかたの身体のなかにガンが見つかったとき、彼らの身の上に起こった、苦しんで死ぬという出来事を、ガンという一箇所のせいにしました。そのようにガンを、「苦しんで死ぬという出来事を、どんなケース*3でも引き起こす一箇所」と認定し、以来、ガンという一箇所さえ身体のなかにあれば、そのひとには近いうちに「苦しんで死ぬという出来事」が起こってくるに決まっていると断じてきました。ひとの余命を予想するのに、身体のなか全体をできる限りひろく配慮しようとしていなくても、たった一箇所にのみ配慮していればできるとなれば、こんなに楽ちんなことはないでしょう(この手の予想はウィルスに関しても最近よく見かけます)。

つづく


前回(第1回)の記事はこちら。


このシリーズ(全6回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2015年第17作

*2:詳しいことは記事「科学の出来事観と物質観の変遷」に書きました。

*3:「場合」という言葉を「ケース」に変更しました。2018年9月7日。