(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

まとめ

*コーヒー疫学、違いをひとつにしぼらない第6回


 以上、今回は、差を一箇所のせいにする統計を確認した(グループ間の違いをたったひとつにしぼろうとこれっぽっちもしない統計を、俺はコーヒー疫学とたわむれに名づけている。コーヒーについてこうした統計調査をよくお見みうけするところからそう名づけた)。疫学調査をするには、グループ間の違いはたった一つしかないと言えるくらいに、違いをしぼるべきではないかと、俺という青クサいオロカモノはまず理想を申し上げた(じっさい、違いをたったひとつにしぼりきることは不可能ではあるだろうけれども)。そのさい、グループ間の違いをひとつにしぼろうとしないで一箇所のせいにすると、オカルト的解釈ができあがることになると申し添えた。にもかかわらず、グループ間の違いをひとつにしぼろうとしていない疫学調査というのは、出来事を一箇所のせいにできるとし、さらには物質を「どんな場合でも、同じ出来事を引き起こす一箇所」とする前提にのっかっているのだということを確認した。


 さて、数ヶ月まえ、疫学者・津田敏秀さんの著書『医学的根拠とは何か』岩波新書にふれたとき、EBMという言葉に触れている。それはEvidence - Based Medicineの略だったけれども、数字をもちいればなんでもEBMになるというのではないらしいと、今回、俺は学んだような気がしている。出来事を一箇所のせいにする見方をとり、物質というのは「どんな場合でも、同じ出来事を引き起こす」のだと考えていれば、疫学調査で何でもわかると思いこんで、知らず知らずのうちに、「魔女」をこしらえあげることにもなる。是非とも気をつけたいところである(俺が気をつけても仕方ないと言えばその通りではあるけれども)。

医学的根拠とは何か (岩波新書)

医学的根拠とは何か (岩波新書)

 


 また今回は、現実を把握するのがいかに難しいかということを改めて実感した。安易な方法にとびついて、現実を簡単に把握できると高をくくるようなことはなかった、先達の誠実で、忍耐強くコツコツ探究を続ける姿を、はるか前方にあおぎ見ながら、俺はオロカモノにふさわしく、これまでどおり、今日も明日も明後日も、トボトボひとりで歩きつづけていこうと意を新たにした次第である。そしてみなさんはというと、そんな俺のかたわらを、BMWにステキなかたたちと一緒にお乗りになりながら、真っ青な空のように素晴らしい加速度で駆けぬけていく  


 しかし正直申し上げると、ここ最近ずっと、一箇所のせいにする思想につきあっていて、俺はもうホトホト疲れはてている。足は棒のようだし、首もひねりすぎてもうとれそu、あッk

(了)

参照記事:コーヒーで「死亡率下がる」「がんになりやすい」 どっちが正しいの?


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