(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

なぜ違いをひとつにしぼらない?(中)

*コーヒー疫学、違いをひとつにしぼらない第4回


 しかし、一日に飲むコーヒーn杯を「どんな場合でも、身体のなかに同じ出来事を引き起こすもの」と見、一日にコーヒーを3杯飲めば、肉を十分に食べているひとにも、肉を十分に食べていないひとにも、同じ出来事が起こると考えることは妥当だろうか。


 たしかに猛毒のようなものについてなら、「どんな場合でも、同じ出来事(死)を引き起こす一箇所」と見ることはできるかもしれない。つまり、それを摂取すれば、どんな場合でも、同じ出来事(死)が起こってくると猛毒についてなら言えるだろう*1。しかし他の物質もかならずそう言えるだろうか。たとえば、アルコールは、ときによって酔いかたが変わる。まったく酔えないときもあれば、すぐに酔ったり、もしくはとんでもなく酔ったりするときもある。薬でも、摂取するとどんな場合でも、同じ出来事が起こるとは言い切れない。ときに効かなかったり、副作用が出たりする。子宮頸がんワクチンでひどい副作用がでたと報じられたのはつい最近のことで、多くのかたがびっくりしておいでだろう。


 では、コーヒーはどうか。いまアルコールや薬について言ったのと同じことが、コーヒーにも言えるのではないか。コーヒーを飲んで気持ちが悪くなったり、胃が痛くなったりするときもあれば、ただ美味に感じられるだけのときもあるし、みなさんもよく経験なさっておいでのように(まさか俺だけではあるまいと信じている)、コーヒーを飲んだ口がとてもクサくなって、ひととオチョボ口でしか喋れなくなることもある。


 だが、同じ物質を摂取しているのにその時々によって起こる出来事がこのように異なるというのは、何も不思議なことではないだろう。そもそも、同一人物でも、刻々と変化していて、終始まったく違いがないということはない。いまの俺と、一日まえの俺とはよく似ているが、やはり違っている。そのように違いがある以上、共に同じ物質を摂取した、いまの俺と一日まえの俺とに、それぞれ異なる出来事が起こっても、何らおかしなことはないわけである。


 また、同一人物が刻一刻と異なるように、他人同士の間にも必ず違いがある。ひとはみなたがいによく似ているけれども、たがいの間にまったく違いがないのではない。たがいにそっくりなAさんとBさんですら、たがいに何かが違っている。身体のなかは特にそうである。で、そのように違いがある以上、AさんとBさんが一日にコーヒー3杯を同じようにお飲みになっても、身体のなかでそれぞれ異なる出来事が起こるかもしれないということになる。彼らにまったく違いがないのなら、身体のなかに、同じ物質がはいると、ともに同じ出来事(心臓病等による死亡率の一定程度の低下あるいは増大)しか起こらないということになるが、全く違いがないひと同士とか、終始まったく違いがないひとというのはこの世には存在しない。


 猛毒ならいざしらず、このようにコーヒーという物質については、一日にn杯摂取すると、「どんな場合でも、身体のなかに同じ出来事が引き起こされる」と決めつけることはできないように思われる。にもかかわらず、なぜさきの調査団*2は、一日にコーヒーをn杯摂取すれば、「どんな場合でも、身体のなかに同じ出来事が引き起こされる」と決めつけているのだろうか。

つづく


前回(第3回)の記事はこちら。


このシリーズ(全6回)の記事一覧はこちら。

 

*1:ところがなかにはこんな例もありますと、2018年9月4日に付記します。

*2:参照記事:コーヒーで「死亡率下がる」「がんになりやすい」 どっちが正しいの?