(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

なぜ違いをひとつにしぼらない?(下)

*コーヒー疫学、違いをひとつにしぼらない第5回


 コーヒーを一日にn杯摂取すれば、「どんな場合でも、身体のなかに同じ出来事が引き起こされる」とするこの考え方はいったい何なのか。


 この考えかたは、出来事を一箇所のせいにする考えかたの延長だと言える。


 ここ最近、出来事を一箇所のせいにする考えかたについて考察してきた。そこで考察したところを簡単にふりかえって再度、出来事を一箇所のせいにする考えかたとはどういうものなのか、またその考えかたからどのようにして、一日にコーヒーをn杯摂取すると、「どんな場合でも、同じ出来事が引き起こされる」とするにいたるのか、確認することにしたい。


 科学は物理学をやるときには、出来事を一箇所のせいにすることはない。たとえばビリヤード台のうえで9番ボールがどのような軌跡を描くかを説明するにあたって物理学はまず、9番ボールに加えられる力を複数、想定する。衝突してくる白球から加えられる力、台表面から加えられる摩擦力と垂直抗力、地球から加えられる重力、9番ボールが台のふちに当たるときにそのふちから加えられる反発力、などなど。さらに同じ要領で、9番ボールに力を加えてくるこれら白球、台表面、台のふちなどについても、それぞれ、他の存在から加えられる力を複数ずつ想定する。そうして物理学は、台のうえで起こる出来事を、9番ボールに直接または間接に力を加えてくる複数の存在が共になす仕事と考える。


 そのように物理学は、台のうえで起こる出来事を把握するには、当の出来事に関わる存在すべて(際限がないけれども)にできるかぎり配慮しなければならないとする。じっさい、出来事に関わる存在により多く配慮すればするほど、出来事をより的確に把握できるようになる、すなわち、出来事をより的確に予想できるようにもなる。


 日常でもみなさんは、街角やフィールドで、ご自身がどんな出来事の渦中におられるのか捉えるために、周囲一帯に気を配り、状況把握に努めておいでであるけれども、それと同じく、ビリヤード台のうえで起こる出来事を物理学で把握するときにも、辺り一帯に気を配る状況把握が必要とされるということである。


 物理学は出来事をこのように、一箇所のせいにすることは決してない。ところが、科学は生きものを扱うときには、出来事をおうおうにして、一箇所のせいにするようになる。たとえば、病気という出来事については、よく一箇所のせいにしている。そうすることで、その一箇所を、「どんな場合でも、当の病気(という出来事)を引き起こすもの」と決めつけている。ひとが下痢と腹痛を起こすと、科学は、それをウィルスのせいにし、そのウィルスを、「どんな場合でも、こうした下痢と腹痛(という出来事)を引き起こす一箇所」としているわけである。


 しかし、出来事を捉えるのに必要なのは状況把握である。出来事を一箇所のせいにするこのような見方では、よほど運が良くないかぎり、出来事を把握することはできないだろう。すなわち、「どんな場合でも、当の出来事を引き起こす一箇所」なるものを探してみても、見つからないだろう。


 じっさい、出来事を、一箇所のせいにする見方で捉えられるか、試しに物理学でやってみるとこんなふうになる。


 まず、9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事のなかには、「9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所」があることになる。コーナーポケットに9番ボールが落ちるという出来事が起こるところではどこにでも、こうした一箇所があって、当の出来事を引き起こしていることになる。したがって、9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を把握するには、その出来事のなかにある、「9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所」を特定すべきだということになる。そこで、9番ボールがコーナーポケットに落ちた事例を複数あつめてきて、それらに共通して見つかる一箇所を探し、見つかればそれを、「9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所」と認定すればいいことになる。その一箇所さえ特定できれば、今後その一箇所を見かけるたびに、9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事がそこでも起こると予想できるようになる、というわけである。


 けれどもこんな一箇所は、見つからないのではないだろうか。みなさんはどう思し召す*1だろうか。


 科学は物理学をするときには、出来事を捉えるのに状況把握を必要とする。出来事に関わる存在すべてにできるかぎり配慮しないといけないとする。ところが、生きものを扱う段になると急に、出来事をこのように一箇所のせいにし、「どんな場合でも、当の出来事を引き起こす一箇所」なるものが存在すると考えるようになる。


そして、さらには、すべて物質というものは、「どんな場合でも同じ出来事を(生物に)引き起こす一箇所」なのだと考えすすむようになる。


 で、たとえば、ニコチンが、「どんな場合でも引き起こす、同じ出来事」とはいったい何なのか知ろうとすることになる。アルコールが「どんな場合でも引き起こす、同じ出来事」や、緑茶が「どんな場合でも引き起こす、同じ出来事」とはそれぞれ何なのか突きとめようとし、また今回見ている疫学調査のように、一日に飲むコーヒーn杯が「どんな場合でも引き起こす、同じ出来事」とはいったい何なのか特定しようとすることになるのである。

つづく


ここでとり挙げている記事は以下のものです。

コーヒーで「死亡率下がる」「がんになりやすい」 どっちが正しいの?


前回(第4回)の記事はこちら。


このシリーズ(全6回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年9月5日に敬語のあやまりを訂正しました。