*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回
◆力学を例に考察する
いまみなさんとこういうことを確認しました。
- 科学は存在を別もの(存在もどき、と名づけましたね)にすり替える。
- 科学は「存在もどき」同士のあいだを、因果関係なるニセの関係でつなぎ直す。
じゃあここから本題に入りますね。物理学の授業で一番はじめに出てくる力学を例に考えてみましょうか、ね?
ビリヤード台のうえで白玉に衝突された9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を力学ならどう説明するとみなさん、思います?
まず9番ボールに加わる力を事細かにひとつひとつあげていくんじゃないですかね?
9番ボールに地球から加えられる重力、ビリヤード台表面から9番ボールに加えられる垂直抗力や摩擦力、白球から9番ボールに与えられる仕事量(でしたっけ?)、衝突した他のボールや台の縁から9番ボールに加えられる反発力(これであっているのかな、怪しいな)等々(テーブルの傾きも考え合わせないといけませんね)。
で、つぎに、地球やテーブル表面や白球や他のボールや台の縁やと、9番ボールとを、これらの力で結んで、9番ボールの行く末を考えるんじゃないですかね、力学は?
つまり、9番ボールを、因果関係で結ばれた他の複数の存在たちと共に考えようとするんじゃないですか、ね?
このように力学は、テーブルのうえでどんな出来事が起こるかは、因果関係で結ばれた複数の存在たちと、それら複数の存在たちを結ぶ因果関係とが、それぞれどんなであるかを考慮しなければ説明できないとするんじゃないですかね?
いまこう言いましたよ。力学は出来事を、つぎのふたつに配慮しなければ捉えられないとするんじゃないかって。
- A.因果関係に結ばれた複数の存在たち
- B.それら複数の存在たちを結ぶ因果関係
出来事を一点のせいにするというのは、どんな出来事が起こるかは一点によって決まるとすることじゃないですか。どんな出来事が起こるかは一点によって決まるとなんかしていませんよね、力学?
出来事を捉えるためにA(複数の存在たち)とB(それらを結ぶ因果関係)に配慮しようとして物理学や化学が腐心の結果、編み出してきたのが、数々の物理・化学法則だったんじゃないのかなって俺なんか思いますけど、ちがいますかね? もし出来事を一点のせいにすることができるなら、果して法則なんかをわざわざ編み出す必要ありましたかね?
大木であれ、俺の身体であれ、ビリヤード台のうえや身体に起こる出来事であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだって最初に確認したじゃないですか。物理学や化学もまた、存在と関係をそれぞれニセものにすり替えながらも、物理学や化学なりに状況を捉えようとしてきたんじゃないですかね?
医学だけなんじゃないのかなあ、出来事を一点のせいにするのは。医学は、身体に起こる出来事を一点のせいにし、その一点を原因とよびますけど、現に物理学や化学には、原因という用語は出てこないんじゃないですか、ね? おなじ科学でも、出来事を一点のせいにする医学だけなんじゃないのかなあ、原因がどうのこうのなんて言うのは?
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