*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回
いや、存在同士を再度つなぎ直すと言っても、存在同士のあいだに(厳密にいえば「存在もどき」同士のあいだに)、ほんとうの関係を認められるようになろうとするってことじゃないですよ。
そもそも存在同士の関係ってどんなものですかね? 存在はほんとうは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるもの、ですよね。存在にとって、その問いに答えることこそ、他の存在と関係するってことですよね?
だけど科学には、存在同士のあいだにそうしたほんものの関係を再度、認められるようになろうとする気はこれっぽっちもありません。だって、ほんものの関係を再度認められるようになるっていうのは、存在を実際どおり、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものと認め直すってことじゃないですか。そんなこと科学がするはずありません、ね? 科学はあくまで、存在を「無応答で在るもの」と決めつけた最初の定義を貫こうとします。
となると、科学にできることはたったひとつ、じゃないですか。
存在同士を(厳密にいえば「存在もどき」同士を)、ほんものの関係とは別の、ニセの関係でつなぎ直す、コレですよ、コレ。
こういうことでしたよね。存在は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答える。存在にとって、そうして自らのありようを自ら律すること(自律)こそが、他の存在と関係するということである、って。ですけど、いまさっき言いましたように、科学には、関係をそのようなものと認めるつもりはまったくありません。そうなればもう科学には関係をつぎのように考えるしか手はないじゃないですか。すなわち、存在にとって、他の存在と関係するというのは、ありようを他の存在に律せられる(他律)ということなんだ、って。
そうですよ、そのニセの関係こそ、あの因果関係とよばれるもののことですよ。
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