*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回
◆物理学・化学は出来事を一点のせいにしたりしない
現に、おなじ科学でも、物理学や化学は出来事を一点のせいにしたりなんかしませんよね? 俺、物理学や化学に、出来事を一点のせいにできると教えられた記憶なんかありませんよ(といっても、大学入試用の物理学や化学に触れた程度ですけどね)。むしろ逆に、出来事は一点のせいにできるような単純なものではないと教えられた気すらしてるくらいですよ。
いまから極めて大雑把にですけど、そのことをちょっと確かめてみますね。
状況・最小単位説を最初に見ましたよね。大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだって確認しましたよね?
そのとき俺、何から話しはじめましたっけ? いまみなさんと俺が目のまえに見ている大木(大木、まだあんなところにあるな……)が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるってことを確認するところからはじめたんじゃなかったでしたっけ?
(みなさんと俺が歩み寄っている大木)
実のところ、科学が大木を現実どおりそうしたものと認めることは……ありません。科学は大木をいきなり、無応答で在るもの(客観的なもの)と決めつけます。
ほら、いま俺の前方数百メートルのところに大木、あるじゃないですか。俺が歩みよるにつれ、その姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせていきますよね。太陽が雲間にかくれれば、その姿を黒っぽくし、太陽が雲間からまた顔を覗かせれば、姿を黄色っぽくしますよね。だけど科学は大木を、俺が近寄っていっても、反対に遠ざかっていっても、目をつむっても、開けても、飛び跳ねても、背を向けても、サングラスをかけても、また太陽が雲間に隠れたり雲間からふたたび顔を出したりしても、終始、無応答で、何ら変わることはないって、事のはじめに勝手に決めつけちゃいます。
科学はこんなふうにいきなり存在を別もの(存在もどきとよぶことにしますね)にすり替えちゃいます。存在はほんとうは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものじゃないですか。なのに存在を、「無応答で在るもの」であることにしちゃいます。
でも、存在を「無応答で在るもの」と決めつけるってどういうことですかね? 存在同士を、互いに無応答とすることじゃないですか、ね? それって、存在同士を互いに無関係であることにしちゃうってことですよ、ね?
存在同士を互いに無関係と考えるなんてこと、どだい無理に決まっているじゃないですか。
そこで科学は、いったん、互いに無関係であることにした存在同士を再度つなぎ直すことになります。
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