(新)Nothing happens to me.

次回は4月1日(月)21:00にお目にかかります

出来事を一箇所のせいにすることの魅力

ガンを原因と思っていればなんでもできる???第1回

 先日、数回にわたり、ガンを例に、出来事を一箇所のせいにする見方について確認しました*1。今回はそのまとめをします。


 かつて、苦しんでお亡くなりになった幾人かのひとたちの身体のなかにガンが見つかったとき、科学は彼らに起こった、苦しんで死ぬという出来事を、ガンという一箇所のせいにしました。それはガンを、苦しんで死ぬという出来事をどんなケース*2でも引き起こす一箇所と認定することでした。以来、科学は、ガンをそうした一箇所と考えてやってきました。


 しかし出来事を一箇所のせいにすることは不可能です。いまそのことが徐々に問われはじめているように俺は思います、愚かな私見かもしれませんけれども。

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

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がん検診の大罪 (新潮選書)

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 みなさんは道路をお渡りになるとき、左右をよくみて状況把握にお努めになられるでしょう。未来に起こる出来事を予想するには、そのように辺り一帯へ配慮するところの状況把握が必要です。じっさい科学も物理学をしているときは出来事を捉えるのに、物理学なりの流儀でではありますが、状況把握につとめます。


 ならば当然、物理学であつかう出来事にかぎらず、身体のなかで起こる出来事を捉えるさいにも状況把握が必要だということになるように思われます。


 ところが科学は身体のなかで起こる出来事についてはおうおうにして、状況把握につとめようとすることなく(というよりも、できないのだと思います)、一箇所のせいにする見方をとります。


 なぜでしょうか。


 オロカな俺にはわかりません(物理学でもちいる状況把握のやりかたが、身体のなかの出来事を捉えるのには使えないという事情はあるでしょう)。


 ただ、出来事を一箇所のせいにする見方には、ひとをトリコにする魅力があるように感じられます。


 みなさんは、その魅力をなんだとお考えになります?


 俺?


 俺が思うに、その魅力とはなんといっても、楽ちんさです。出来事を捉えるには、辺り一帯にできるかぎり配慮するところの状況把握が必要だとさきほど申しましたが、出来事を一箇所のせいにできるなら、そんな七面倒くさい状況把握などしなくても、一箇所にだけ配慮していればいいことになります。俄然、楽ちんになります。そしていろんなことが非常に単純にやれるように思えてきます。ガンで申しますと、未来予想(余命宣告)のみならず、治療も、予防も、ガンという一箇所にだけ配慮していればできることになってとっても楽ちんです。

つづく


このシリーズの記事一覧はこちら。

whatisgoing-on.hateblo.jp

 

*1:「『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん」

whatisgoing-on.hateblo.jp

*2:「どんな場合」と書いていたところを「どんなケース」に変更しました。2018年9月6日。