*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第10回
毒と呼ばれる物質はどうですかね? 服毒なんかの場合ですら、摂取後、身体に起こる出来事は、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、異なると言わなくちゃなんないんじゃないですか、ね? 公害被害をうけたひとの身体に起こる出来事はみなおなじ、というのではないじゃないですか。症状は多様って聞きません?(俺の聞き間違いですかね?) 動物の毒はどうです? 蛇の猛毒なんか摂取すれば死ぬに決まっているとだいたい誰でも思うじゃないですか? けど、そんな毒を自分に接種しているひとがいるんだって、最近、ニュースになってましたよ、ね? 毒をおなじように摂取・接種しても、ひとによって、またおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事はしばしば異なるって言わなくちゃなんないんじゃないですか、ね?
(蛇の毒についての記事はこれですよ)
薬だってそうですね。おなじ薬をおんなじように飲んでも、効くひともいれば効かないひともいる。具合が悪くなるひとだっています、ね? 最悪、死んでしまうひとだって、ね? おなじ薬をいつもとおんなじように飲んでも、ふだんは効くのに、時によって効かなかったり具合が悪くなったりすることだってありますよ、ね?
でもまあ、アルコールであれ、コーヒーであれ、毒であれ、薬であれ、その他の物質であれ、おなじように摂取・接種しても、こんなふうに、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事がしばしば異なるっていうのは、考えてみりゃあ当たりまえのことじゃないかなあ。
ふたりの人間を考えてみてくださいよ。お互いどんなにそっくりでも、まったく違いが無いなんてことはないじゃないですか。じゃあそんなふうに互いに違いがあると、どうなります? そのふたりが、おなじ物質をおんなじように摂取・接種した結果、身体に起こる出来事が互いに異なってきたとしても何ら不思議はない、ってことになるじゃないですか、ね?
同様のことが、ひとりの人間についても言えますよね? 昔の俺は、いまの俺にあらず。ひとは刻一刻と変化していくじゃないですか。なら、おなじひとがおなじ物質をおんなじように摂取・接種しても、時と場合によって、身体に起こる出来事が異なってきたって何ら不思議はないじゃないですか、ね?
医学の物質観を見てきました。
最初にこう確認しましたね? 医学は医学の出来事観(身体に起こる出来事を一点のせいにする見方)を突きつめて、物質それぞれをみな、身体に特定の出来事を起こす原因(状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの)と決めつけるんだ、って。そうして、おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こってくるってことにするんだ、って。でも、実際、物質はそんなものじゃないってことでしたね。おなじ物質をおなじように摂取・接種しても、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に異なる出来事が起きることシバシバなんだ、って。論理的に考えてみてもそうなるのは当たりまえなんだ、ってことでしたね。
【1.医学の物質観まとめ】
- 表現①:物質それぞれは、身体に特定の出来事を起こす原因である(原因という言葉をもちいての表現)。
- 表現②:物質それぞれは、「状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの」である(原因という言葉をもちいないでの表現)
- 表現③:おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる。
【2.物質の現実】
- おなじ物質を、おなじように摂取・接種しても、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に異なる出来事が起こることシバシバである。
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