*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第10回
◆医学の物質観(3つの表現で)
医学は、身体に起こる出来事ひとつひとつを、一点のせいにしていきます、ね? つまり、身体に起こる出来事ひとつひとつにたいし、原因を想定しますよ、ね?
医学はその見方を徹底します。そして、こう考えます。この世の物質はそれぞれみな、身体に特定の出来事を起こす原因(状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの)なんだ、って。
すなわち、物質Aは、身体に出来事aを起こす原因(状況に関係なく身体に出来事aを起こすもの)であって、物質Aがあれば当然、身体に出来事aが起こってくるし、物質Bは、身体に出来事bを起こす原因(状況に関係なく身体に出来事bを起こすもの)であって、物質Bがあれば当然、身体に出来事bが起こってくる、また物質Nは、身体に出来事nを起こす原因(状況に関係なく身体に出来事nを起こすもの)であって、物質Nがあれば、当然、身体に出来事nが起こってくるんだ、っていうふうに考えます。
そうして、おなじ物質を、おなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こってくると決めつけます。
そのように物質を見るのが、医学の物質観だと言えるんじゃないですかね?
【医学の物質観まとめ】
- 表現①:物質それぞれは、身体に特定の出来事を起こす原因である(原因という言葉をもちいての表現)。
- 表現②:物質それぞれは、「状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの」である(原因という言葉をもちいないでの表現)。
- 表現③:おなじ物質を、おなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる。
ほら、ガンをやッつける薬だとか、血圧を下げる薬、インフルエンザを予防するワクチン、発がん性物質、食べ物Yはがん発症率を何%上げる、コーヒーは心臓血管系の疾患発症率を低下させる*1、ワクチンを接種すれば麻疹にかからなくなる、といったように、医学は物質それぞれを、おなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こるもの(上記表現③)であるかのように、世間に宣伝するじゃないですか、ね?
でも、この世に原因なんかそもそも存在しないんじゃなかったでしたっけ? 出来事を一点のせいにするというのは、その一点を、当の出来事を起こす原因(状況に関係なく当の出来事を起こすもの)とすることである。だが、出来事を一点のせいにすることはできない。したがって、そんな原因なるもの(状況に関係なく当の出来事を起こすもの)も存在しやしないんだって、ビリヤードの例を用いて確認したんじゃなかったでしたっけ、ね?
(そのことを確認したのは、下の記事)
なら、上記の表現①と②のように、物質それぞれを、身体に特定の出来事を起こす原因(状況に関係なく身体に特定の出来事を起こすもの)と見るのは不適切だってことになるじゃないですか、ね? おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こる(表現③)ってことにするのは不適切なんだって、ね?
◆物質の現実(アルコール、コーヒー、毒、薬)
実際のところ、おなじ物質をおなじように摂取・接種すれば、当然、身体におなじ特定の出来事が起こるのかっていうと、そういうふうにはいきませんよ、ね? おなじ物質をおんなじように摂取・接種しても、ひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事はしばしば異なるじゃないですか、ね?
たとえばアルコールを考えてみてくださいよ。みんなおなじように飲んでいるのに、ひとりだけベロンベロンになってたりすることあるじゃないですか。それとか、いつもとおんなじように飲んでいるのにひどく酔っ払っちゃう淋しい夜とかも、ね? アルコールをおんなじように摂取・接種しても、こんなふうにひとによって、もしくはおなじひとでも時と場合によって、身体に起こる出来事が違ってきたりしますよ、ね?
コーヒーもそうじゃないですか? おんなじようにコーヒーを飲んでも、とても美味しがるひともいれば、具合が悪くなっちゃうひとだっているじゃないですか。それとか、いつもとおんなじように飲んでいるだけなのに、時によってひどく胃もたれしちゃったり、口がとても臭くなったりするようなこと、ありますよ、ね?
前回(第9回)の記事はこちら。
このシリーズ(全12回)の記事一覧はこちら。
*1:ちなみに、コーヒーを、心臓血管系の疾患発症率を低下させる物質であるとする医学の見方について考察した記事はこちら。