*コーヒー疫学、違いをひとつにしぼらない第2回
先にも触れたとおり、この調査*1で追跡されたみなさんの間には、「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」以外にも違いがたくさんおありだった。身長も、体重も、味の好き嫌いも、一日に食べる野菜や肉の量も、一日に摂取する水分や塩分の量も、仕事内容も、運動習慣も、胃腸の強さも、気持ちの繊細さも、コーヒーにいれる砂糖やミルクの量も、コーヒーを飲むタイミングも、みんなバラバラだったと想像できる。たがいにこんなに違いをおもちのみなさんを、「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけにしたがってグループ分けしても、グループ同士の違いはたったひとつ、すなわち「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけ、とはならない。
そこでたとえば、各人が一日にお食べになっていた肉量の違いが、各グループの心臓病等による死亡率に影響していたらどうするか、といった懸念が出てくることにもなる。
こういうことである。
「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」が、心臓病等による死亡率に影響するのなら、一日に食べる肉量の違いも心臓病等による死亡率に影響してもおかしくないことになる。で、もし、じっさいにそうなら、いまの調査で見た、各グループ間の心臓病等による死亡率の差を、グループ間の「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけのせいにすることはできなくなる。コーヒーを一日に3〜4杯お飲みになっておられた、心臓病等による死亡率が最低のグループには、一日に肉を「十分」な量だけお食べになっていたかたが多く、いっぽうコーヒーをほとんどお飲みになっておられなかった、心臓病等による死亡率が最高のグループには、一日に肉を「十分」お食べになっておいでのかたが少なかったということだったらどうするのか。両グループ間の心臓病等による死亡率の差を、「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけに帰すと明らかに「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」を過大評価することになるではないか。
この調査で追跡されたみなさんの間にある、一日に食べる肉量の違いをいまあげて考えてみたけれども、みなさんの間にはほかにも数多くの違いがおありだったろう。一日にコーヒーをほとんどお飲みになっておられなかった、心臓病等による死亡率が最高のグループには、コーヒーをお飲みになると気持ちが悪くなるくらいお身体の弱いかたが多く、いっぽう一日にコーヒーを3杯から4杯お飲みになっておられた、心臓病等による死亡率が最低のグループには、コーヒーを複数杯お飲みになっても気持ち悪くおなりにならない強壮なかたが多く、また一日にコーヒーを5杯以上お飲みになっておられた、心臓病等による死亡率が二番目に低いグループには、コーヒーを一日じゅう飲んでいらっしゃれるくらい、動き回らなくてよい仕事をしておいでのかたが多かったということも考えられないではない。もし現に事情がいま言った通りだったら、それこそ、グループ間の心臓病等による死亡率の差を、「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけのせいにするのは、とんでもないオカルト的解釈だということになる。
もう一度申し上げる。
心臓病等による死亡率に影響するのがコーヒーだけとはいまのところ誰も言い切れまい。であれば、「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」がどれだけ心臓病等による死亡率に影響するのかを知ろうとするならせめて、グループ間の違いをたったひとつ、すなわち「一日に飲むコーヒーの杯数の違い」だけにしぼろうとする工夫と努力が必要なのではないだろうか。違いをひとつにしぼる(ほぼ絶望的なくらい難しいことだが)、これが鉄則なのではないだろうか。
前回(第1回)の記事はこちら。
このシリーズ(全6回)の記事一覧はこちら。
*1:参照記事:コーヒーで「死亡率下がる」「がんになりやすい」 どっちが正しいの?