(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

ガン医療に対するふたつの疑念

*『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠さん第1回


 みなさんご存じのように、近藤誠さんというお医者さんがおいでである。1990年代中頃から、ガン治療にかんし警鐘を鳴らしつづけていらっしゃる放射線治療医である。その彼は、オロカモノの俺が意訳するところによると、こういったことをおっしゃっておられる。すなわち  


 ガンはひとを苦しめ、近いうちに死をもたらすデキモノだと西洋医学では長らく信じられてきました。しかしながら、ガンが身体のなかにできれば必ず、ひとは苦しんで近いうちに死ぬことになるのでしょうか。いや、じつはそうではないようです。ガンができても大丈夫で、死の危険が身に迫っておられないひとたちも現実にはいらっしゃいます(注、彼はそういう例を経過観察しているようである)。ところが、科学はそういう例を虚心になって見てきはしませんでした。さらに多くの医師たちは、ガンを身体のなかから無くすことしか考えないあまり、手術で臓器を摘出しすぎたり、抗ガン剤治療をやりすぎたりして、患者さんたちを不要に苦しめ続けています  

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

患者よ、がんと闘うな (文春文庫)

 


 こんな指摘をなさる近藤さんは、当然というべきかどうかはともかくとして、お医者さんたちから猛反発をくらっておいでだと聞く。じっさい、お医者さんが近藤さんを猛烈に批判している本や記事に、俺もときどき出くわすことがある。


 で、そのときに俺が何に心底おどろくことになるかというとそれは、その近藤批判の激烈な調子にではなく、その文章の書き手であるアンチ近藤のお医者さんたちがしばしば、近藤さんをまずはじめに評価して見せることである。ガン手術で臓器をとりすぎていることや、苦しみの大きい抗ガン剤治療をやりすぎていることを近藤さんが指摘したのは、医学界にとって有益な忠告になったと彼らは最初に言うわけである。


「それについては、よく言ってくれたとわたしも評価しているんですよ。でもそれ以外があんまりにもひどいんd」

「がんと闘うな」論争集―患者・医者関係を見直すために (メディカルトリビューンブックス)

「がんと闘うな」論争集―患者・医者関係を見直すために (メディカルトリビューンブックス)

 
百歳まで生き、ガンで死のう。

百歳まで生き、ガンで死のう。

 


 そうした文章を読んで俺の口は、いつも以上にぽっか〜んと開くことになる。


 患者さんの体調をいちばんよく知りえるところにいながらも、近藤さんのような第三者に指摘されるまで、ガン手術で臓器をとりすぎたり、抗ガン剤治療をやりすぎたりして、患者さんたちを不要に苦しめ続けてきたことに気づかなかったとは、いったい彼らは患者さんたちの何を見ていたのだろう。


 まことに申し訳なく、心苦しいかぎりではあるが、失礼ながらそう思い、俺はア然とするのである。そしてしばらくしてから、医学に命をあずけて、ほんとうに大丈夫なのかと、ガタガタ震え出すことになるのである。


 文章冒頭で、近藤さんが呈しているふたつの疑念について触れた。ひとつは、ガンができると、ひとは必ず苦しんで死ぬことになるとする科学のガン論にたいする疑念、もうひとつは、ガン手術と抗ガン剤治療にたいする疑念だった。このふたつは絶対に呈されなければならなかった非常に大事な疑念である。今回はこのふたつについて、オロカモノなりに考察する。

つづく


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