*原因をさがし求めて第4回
しかし、つぎのように考えて、この特定法で原因を特定することができると言うひともいるかもしれない。
すなわち、認知症になったひとの事例を複数集め、認知症の原因を特定しようとしていると、偶然、ひとつの事例のなかの、ある物質(物質Xと呼ぶことにする)が目にとまった。よく調べてみると、その物質Xは、集めてきた複数の事例すべてに共通してみつかるのではないものの、大半の事例に見つかることがわかった。そこで、集めてきた事例のうち、この物質Xが見つからないものはその存在を無視することにし、残りの事例だけを考えて、この物質Xを、認知症を生じさせる原因と特定することにした。「同じ事例(同じ結果。いまの場合は認知症になるということ)は同じ原因からしか生じない」のであろうと、「同じ事例(同じ結果)がそれぞれ別の原因から生じる」のだろうと、どちらの場合でも、いまやった原因特定は成り立つことになる。偶然、物質Xを発見した。そのときひらめいた。ああ、これは、認知症を生じさせる原因なのではないかと。それはたしかにひらめきにすぎなかったが、集めてきた複数の事例をよく見てみると、大半の事例にこの物質Xがみつかった。最初にひらめいた、物質Xは認知症の原因ではないかというアイデアが、こうして確かめられたわけだ。もし、物質Xが、集めてきた事例のうちのたった二、三にのみ見つかるだけなら話は別だが、なんせ集めてきた事例の大半にみつかっている。ならば、これはもう認知症を生じさせた原因と言ってまちがいないだろう、と。
だがこんな原因特定は強引すぎる。そう思うのは私だけではないはずである。
このように強引にこの原因特定法で原因を特定すると、冤罪を生む可能性があることをここで確認する。こういうことである。
私と同じように認知症になったひとの事例を複数集めてきた。そして、集めてきた、たがいに似ているこれら事例を、さらによく見てみた。すると、これらの事例のうち大半は、物質Xが身体のなかに見つかるところまでさらに似ているとわかった。
ぱっと見て似ているものを複数集めてきて、さらに細かくよく見てみると、そのうちの大半はさらによく似ている(物質Xが身体のなかにある)とわかったわけである。
いま、集めてきた複数の事例のあいだにみとめられる類似点を二つあげた。ひとつは、同じような状態になったこと(認知症になったこと)。もうひとつは、同じように物質Xが身体のなかにあることである。
この二つの類似点はそれぞれ何を意味するのか。その類似点は、いま特定しようとしている認知症の原因部分のことなのか、それとも認知症の原因部分によって生じさせられた結果のことなのか、それともそれら原因や結果とは別の何かなのか。
これら複数の事例の、同じように認知症になったという、ひとつ目の類似点を生じさせた原因を、いま特定しようとしている。同じように認知症になったというこの類似点は、特定しようとしているその原因によって生じさせられた結果である。
では、同じように物質Xが身体のなかに見つかるというふたつ目の類似点はどうだろう。この類似点は、ひとつ目の類似点(認知症になったこと)を生じさせた原因に当たるのだろうか。それともそうした原因によって生じさせられた結果のうちの一部なのだろうか(つまり、認知症になったというひとつ目の類似点の仲間なのか)。
それとも、認知症の原因でもなければ、認知症の原因によって生じさせられた結果でもないのか。
物質Xが身体のなかに見つかるというこのふたつ目の類似点は、認知症を生じさせた原因かもしれない。が、その原因によって生じさせられた結果であるかもしれないし、あるいは、そうした原因や結果とは別のものであるかもしれない。そんな三つの可能性が考えられるなか、強引にこの物質Xを、認知症を生じさせる原因と特定すれば、認知症の原因でもないのに、認知症の原因だとあやまって決めつけてしまうことにもなりかねない。冤罪が生じるかもしれない。
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