(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学の出来事観と物質観の変遷①

 ここ数ヶ月、カワグチ・サチジ・シリーズと題して、二篇*1おとどけ(?)してきた。いずれもクソまずいものだったにちがいないが、それでも、そこで確認したのは非常に大事なことだった。


 みなさんが今日のおフロあがりにお召し上がりになろうと、冷蔵庫にとっておいでのプリンくらい(プッチン、それともモロゾフ?)、非常に大事なことだった。


 それは、原因丸々ひとつを特定するのは不可能だ、ということである。


 事故や病気といった出来事が起こると、すぐにひとはその原因を特定しようと考える。で、現にこれまで、いろんな出来事につき、その原因を特定してきたことになっている。ところが、カワグチ・サチジ・シリーズで点検してみると、それらはどれもこれも、原因丸々ひとつには達していないと判明した。原因には、まだ特定され残している部分があることが明らかになった。


 そこで、特定され残している部分をあらたに突きとめようと、カワグチは無いチエ(シッケイ!!)をしぼって頑張ったけれども、その残り部分すべてを突きとめ切ることはできなかったというわけである。


 しかし、なぜ、原因丸々ひとつを特定することはできないのだろうか。


 今日の俺はその問いを羅針盤にし、これから、俺の思考力という薄汚れたゴムボートに乗って、論理の大海原にコギ出していくことにする。みなさんには、みなさんの豪華クルーザーのうえから、暖かくうるんだ目で、この危なっかしいゴムボートのゆくえを是非とも見守っていただきく思う所存である。どうぞシクヨロお願い申し上げる次第だ。


 いざ出発進行である。


 先にも書いたが、事故や病気など、何か出来事が起こると、すぐにひとはその原因を特定しようと考える。そのように出来事を一箇所(原因部分のこと)のせいにしようと試みる。


 ところが物理学では、出来事を一箇所のせいにすることは決してない(とド素人でクソな俺は思っている)。


 9番ボールがビリヤード台のうえをコロがってコーナーポケットに落ちるという出来事を説明するのに、物理学はその9番ボールに加えられる力を複数、想定する。衝突してくる白球から加えられる力、台表面から加えられる垂直抗力と摩擦力、地球から加えられる重力、当たった台の縁から加えられる反発力(反発力が加えられるという解釈でいいのか?)などなど。


 と同時に、9番ボールに力を加えてくるものとしていま挙げた複数の存在、すなわち白球、台表面、地球、台の縁などそれぞれについても、他から加えられる力を複数ずつ、想定する。


 そうして、9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を、9番ボールに直接あるいは間接的に力を加えるすべての存在が共に為す仕事とする。


 物理学は、9番ボールがコーナーポケットに落ちるというこの出来事を決して、9番ボールに加わった、あるひとつの力のせい、つまり一箇所のせいにすることはない。台のうえでどのような出来事が起こるかを把握するには、どこか一箇所だけに着目していればいいのではなく、その出来事に登場するすべての存在にできるかぎり気を配り、それら存在それぞれの事情に配慮しなければならないとするわけである。


 ところが科学は、生きものをあつかう段になると、腰をぬかして驚くべきことに、出来事を急に一箇所のせいにするようになる。


 そして現在、受精卵が細胞分裂をくり返して成体になるという出来事については、遺伝子という一箇所(一箇所というのはおかしな表現だが)のせいにし、みなさんが何かを思いつくとか、何かを為すといった出来事については、みなさんの脳という一箇所のせいにしている。また病気と呼ばれる出来事については、あるときはガン細胞のせいに、またあるときはウィルスや、細菌、脳の変質、化学物質、花粉、といった一箇所のせいにしている。


 では、出来事を一箇所のせいにするこのことは、何を意味するか。


 あるひとにかつて起こった、ガン細胞が身体のなかにできるという出来事を、いま科学が、変異遺伝子Xという一箇所のせいにすると仮定してみる。このように変異遺伝子Xのせいにするとは何をすることなのか。


 それは、ガン細胞ができるという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所であると、変異遺伝子Xを認定することである。


 別の例もあげてみる。


 あるひとにかつて起こった、下痢や嘔吐をするといった出来事を、いま科学がウィルスHという一箇所(一箇所と言うのは少々おかしいが)のせいにすると仮定する。これは何をすることなのか。


 これは、下痢や嘔吐をするという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所であると、ウィルスHを認定することである。


 あるひとに起こった、認知症と呼ばれる状態になるという出来事を、科学がそのひとの脳のなかの、ある物質という一箇所のせいにするとすればどうか。これは、認知症になるという出来事を、どんな場合でも引き起こす一箇所として、その物質を認定することである。


 このように、出来事を一箇所のせいにするとは、その出来事のなかに、当の出来事をどんな場合でも引き起こす一箇所が入りこんでいると事のはじめに決めつけ、いま目の当たりにしているその出来事も、この一箇所によって生じさせられたのだとすることである。


この記事は①②③の3つに分けてお送りします。

 

*1:「原因丸々ひとつは見つからない」と「原因を探し求めて」。