(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「通りかかった男女が、あっちに行けば楽なのにね、とささやいた」「おかもちの中からとり出した割り箸には意味があるはずだった」を理解する(3/5)【統合失調症理解#14-vol.6】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.26


 ところで、まえのほうで俺、こう言っておきましたよね。小林さんは前日、時の内閣が自分のことを守ろうとしてくれていると本気で思い込んだ結果、時の内閣から監視されていると感じ考えることになったのではないか、って。


 実際どうでした? 小林さんが早稲田大学を訪れているこの日の記述をここまで追ってきて、小林さんがすでに時の内閣に監視されていると感じ考えているらしいことが確かめられませんでしたか。いま挙げた引用文にも、こうありましたよね。「誰かが僕の様子を遠くからカメラで撮影しているような気もした」とか「僕が真実を知ることを、他のみんなは待ち望んでいたのではないか」って。


 先の引用のつづきに戻りましょう。


◆男女が「あっちへ行けば楽なのにね」と囁く

 つい先ほど、小林さんがこう結論づけるのを確認しました。早稲田大学に来てから自分の身に「不自然」と思われて仕方のない出来事が立てつづけに降りかかってきたのは、「何者か」の仕業によるものにちがいない、って。で、小林さんはその「何者か」の悪意に怯えはじめることになったとのことでしたね。「僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」んだ、って。いまから、小林さんがその「何者か」の悪意に怯える様子を本格的にみなさんと俺は目の当たりにすることになります。

 とにかく一つ所にはとどまっていられない心境になり、巾着袋を握りしめて、平穏な場所を求めてさまよい歩き出した


ゲームセンターには、当時ハマっていた「HANG−ON」があったが、これはワナだと思って見向きもせず、さかんに呼びたてる焼きとうもろこし屋  美夜ちゃんに似た可愛い子だったが  もワナで毒が塗ってあると思い込んだ。当然薬屋は毒薬だらけでとても入る気がしない。


通りかがった男女が
あっちへ行けば楽なのにねとささやきそれは大学構内を意味していたようだったが、誰の言葉も信じられず、僕はどんどん細い路地へ、なるべく人のいない所へ入っていった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.117、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 小林さんが「何者か」の悪意をひしひしと感じているらしいことがいま、わかりませんでしたか。焼きとうもろこし屋はワナで、毒が塗ってあるとか、薬屋も毒だらけだとかと言っていましたよね。


 そしてそのように「何者か」の悪意に怯えるなか、ひょっとすると小林さんは心揺らいだのかもしれませんね。もういっそのこと逃げるのをやめて大学構内に戻り楽になろうか、って。


 だけど、小林さんからすると、自分がそこで、そんな弱気なことを考えたりするはずはなかったのではないでしょうか。つまり、少々語弊のある言い方になってしまうかもしれませんけど、そのとき小林さんには、自分が気弱なことを考えているはずはないという自信があったのではないでしょうか。


 現に小林さんは気弱なことを考えた(現実)。しかしその小林さんには、自分が気弱なことを考えているはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、やはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、ここでも小林さんは、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が気弱なことを考えているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


「あっち(大学構内)へ行けば楽なのにね」と誰かがボクに囁いてきた、って。


 では、誰がそう囁いてきたのか。ちょうどそのとき、ひと組の男女が小林さんの近くを通りかかっていた。そこで小林さんは、その男女がそう囁いてきたのだととった、ということなのかもしれませんね。


 箇条書きにしてまとめてみますよ。

  • ①「あっちに行けば楽になれる」と気弱なことを考えた(現実)。
  • ②自分が気弱なことを考えているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「誰かがボクに、あっちに行けば楽なのにね、と囁いてきた」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年10月1日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.25)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「通りかかった男女が、あっちに行けば楽なのにね、とささやいた」「おかもちの中からとり出した割り箸には意味があるはずだった」を理解する(2/5)【統合失調症理解#14-vol.6】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.26


◆ふたつ目の案

 もしくは、こういうことだったかもしれませんね。


 小林さんは、「世界は僕のためにある」ということの恐ろしい真の意味をついに理解したと思ったとき、ふとある場面を想像した。それは、遠くから自分のことを見守ってくれている仲間友人ミックが、謎を解き明かした小林さんのことをやった!」と叫んで喜んでくれている場面だった(現実)。


 ところが、小林さんからすると、深刻な状況下にいる自分が、そんな喜びに湧いた明るい場面を想像したりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分がそんな明るい場面を想像しているはずはないという自信が、って。


 小林さんはそのとき、遠くから見守ってくれているミックが「やった!」と叫んで喜んでくれている場面を想像した(現実)。だけど、その小林さんには、自分がそんな明るい場面を想像しているはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、先にも書きましたように、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、そこでも小林さんは、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分がそんな明るい場面を想像しているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 ミックの「やった!」という叫び声が不意にボクの耳に入ってきた、って。


 このふたつ目の推測も箇条書きにしてまとめてみますよ。

  • ①ついに謎を解明したことを、遠くから見守ってくれている友人ミックが「やった!」と叫んで喜んでくれている場面を想像した(現実)。
  • ②自分がそんな明るい場面を想像しているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「ミックの『やった!』という叫び声が不意にボクの耳に入ってきた」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年10月1,2日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.25)はこちら。


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統合失調症の「通りかかった男女が、あっちに行けば楽なのにね、とささやいた」「おかもちの中からとり出した割り箸には意味があるはずだった」を理解する(1/5)【統合失調症理解#14-vol.6】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.26

あらすじ
 小林和彦さんの『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫、2011年)という本をとり挙げさせてもらって、今回で6回目です(全9回)。

 小林さんが統合失調症を「突然発症した」とされる日の模様からはじめ、現在はその翌日を見ているところです。

 統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたその小林さんが、(精神)医学のそうした見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であることを、実地にひとつひとつ確認しています。

  • vol.1(下準備:メッセージを受けとる)
  • vol.2(朝刊からメッセージを受けとる)
  • vol.3駅名標示から意味、暗号を受けとる)
  • vol.4早稲田大学で学生3人組と会話する)
  • vol.5(謎がついに解ける)

 

今回の目次
・誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声
・ふたつ目の案
・男女が「あっちへ行けば楽なのにね」と囁く
・そば屋のおかもちから割り箸をとり出した時
・ここまでを簡単に振り返る


◆誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声

 統合失調症を「突然発症した」とされる日の翌日、7月25日(金)に、小林さんが母校、早稲田大学を訪れたときの様子を見ているところです。


 つづきを追っていきますよ。ついさっき、小林さんが、「世界は僕のためにある」ということの恐ろしい真の意味を忽然と理解したと思った場面を見ましたよね。その直後のことです。

 誰かがやった!」と嬉しそうに叫ぶ声がしたミック〔引用者注:小林さんの友人〕の声に聞こえた。誰かが僕の様子を遠くからカメラで撮影しているような気もした。僕が真実を知ることを、他のみんなは待ち望んでいたのではないか、と思った。そして僕も真実を知りたいと思っていた。しかし、僕が直面した真実は、とてつもなく恐ろしく、僕は正気を保ち続ける自信を失った(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.115-116、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 ひょっとするとこのとき、「世界は僕のためのある」ということの真の意味を理解したと思った小林さんは、とうとう謎を解明した際にひとが覚える喜びを感じたのかもしれませんね。そして、「やった!」と胸のうちで快哉を叫んだのかもしれませんね(現実)。


 だけど、小林さんからすると、そんな深刻な状況下にいる自分が、胸のうちで喜びの声を上げたりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないという自信が、って。


 小林さんは胸のうちで快哉を叫んだ(現実)。しかしその小林さんには、自分が快哉を叫んでいるはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には今回も思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 で、小林さんはこの場面でも後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 その「やった!」という歓声はボクのものではない。ボクが真実を解き明かしたのを、味方である友人ミックか誰かが喜んで上げている叫び声にちがいない、って。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめてみますよ。

  • ①「世界は僕のためにある」ということの真の意味をついに理解したと思い、胸のうちで快哉を叫んだ(現実)。
  • ②自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「その『やった!』という歓声はボクのものではない。ボクが真実を解き明かしたのを、味方である友人ミックか誰かが喜んで上げている叫び声にちがいない」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年10月1,2日に文章を一部修正しました。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.6)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.4

  • vol.5(前回)

  • vol.7(次回)

  • vol.8

  • vol.9


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(6/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25

 大学構内を出て、グラウンド坂を少し下がり、学生時代よく行っていた「キャプテン」という喫茶店をのぞいてみようと思ったが、シャッターが閉まっていた。(略)


 考え事をしながらフラフラ歩いていくと、薬屋の隣に空き地があった。『ど根性ガエル』に出てくるような空き地だと思ってその中に入った。材木が横積みになっており、その上に白いプラスチック板が二枚、立てかけてあった。「何だろう」と思ってそれをひっくり返した。なんとそれは小田急線の時刻表だった。


 実家から大学へ通っていた頃毎日使っていた、そしてこれから帰るのに使おうとしている小田急線の時刻表がここにある。もう僕にはこれが偶然だとは思えなかった。僕がこの世界を作っている。もう少し穏当な表現をすれば、僕が見知っているこの世界は僕のイメージの産物だ、ということに気がついてしまった。空想的な遊びではなく、実感してしまったのだ。普段使わない思考回路が次々とつながり始め、それまでの幸せな気分は吹き飛び、急転直下地獄へ落とされた


 僕は気づいてはいけないことに気づいてしまったんだ。世界が僕のイメージでできているならちょっとでも不吉なことを考えれば世界はあるいは僕は消え去ってしまうではないか(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.114-115、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 先ほど、予測したとおりのことをいま小林さんは言っていましたね。


 この早稲田大学訪問日の数ヶ月前からしきりに「現実を自分に都合良く解釈」しつづけているうち、小林さんは、その訪問日の二、三日まえから、「現実(世界)は僕のためにある」という誤った手応えを感じるようになった。で、早稲田大学に来たこの日、「世界は僕のためにある」というそれは、実は「世界は僕のイメージで出来ている」ということを意味しているのだと考え改めることになった。でもそう考え改めた途端小林さんは恐怖に凍りついた。そのように「世界が僕のイメージで出来ている」のなら、僕が「ちょっとでも不吉なことを考えれば、世界は、あるいは僕は消え去ってしまうではないか」って。


 小林さんが言う「世界は僕のためにある」ということの意味と、「世界は僕のためにあるというのが違和感を与える」ということの意味を、いま、ちょっと立ち止まって考えてみました。小林さんのそのふたつは、しきりに「現実を自分に都合良く解釈」してきた当然の産物と言えるかもしれないということでしたね。





5/6に戻る←) (6/6) (→次回短編へつづく

 

 




次回は翌週9月14日(月)21:00頃にお目にかかります。


2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.5)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.4(前回)

  • vol.6(次回)

  • vol.7

  • vol.8

  • vol.9


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(5/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25


◆「世界は僕のためにある」への違和感

 では、つぎに、この「世界は僕のためにある」というのが違和感を与える、ということの意味について考えてみましょうか。


 この日、早稲田大学に向かいはじめてからここまで、小林さんはしきりに「現実を自分に都合良く解釈して」きています。小林さんはそうして「現実を自分に都合良く解釈する」都度、「現実(世界は僕のためにあるという誤った手応えをヒシヒシと感じていたのではないでしょうか。


 で、そのことを、成増駅駅名標示から駄洒落を思いついたときにもちいた例の仕方で*1、こう解したのかもしれませんね。


「世界は僕のためにある」というシグナル(意味もしくは暗号)が、誰からかはわからないが、しきりにボクのもとに送られてくる、って。


 さて、早稲田大学に来るまでは、「世界は僕のためにある」という誤った手応えをそのように感じるたび、小林さんは満足できていたのかもしれませんね。だけど、早稲田大学にやってきたこの日は違った。この日は、「世界は僕のためにある」という誤った手応えをヒシヒシと感じても、満足はできなかった


 ほら、いまさっき、クズかごのなかを見た小林さんが、「現実を自分に都合良く解釈した」結果、ついにこう考えることになったのを確認しましたよね。「何者の仕業かはわからなかったが、僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」んだ、って。そうして小林さんは、その正体不明の誰かの悪意に怯えはじめることになったんだ、って。


 このように、「現実を自分に都合良く解釈」し、「世界は僕のためにある」という手応えをヒシヒシと感じても、この日は満足できない。そこで小林さんは、そのことをこういった言い方で表現しようとした、ということなのではないでしょうか。


「世界は僕のためにある」というのが「こんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった」、って。


 そして小林さんはこう考え進めたのかもしれませんね。「世界は僕のためにあるということの意味をボクはとり違えていたんだ、って。これまでは、「世界は僕に好ましいものである」ということを意味していると思われていたが、実はそうではなかったんだ。「世界は僕のもっているイメージが反映されたものである」ということをほんとうは意味していたんだ、って*2


 ところが、そう結論づけた途端、小林さんは恐怖に襲われることになります。


 先の引用文のすこしあとを見て確かめてみますよ。





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2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の短編(短編NO.24)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:その例の仕方というのはこういうものでした。

*2:この辺りの詳しいことは、この早稲田訪問日の前日のことを書いた、同書pp.100-102を読むとより理解できるようになるのだろうと思われますが、その余裕がないここでは、割愛させてもらいます。

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(4/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25


◆「世界は僕のためにある」という誤った手応え

 ところで、いま小林さんは「世界は僕のためにある」とか、「それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった」とかと言っていましたよね。再引用して確かめてみますね。

どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにあるというシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。


世界は僕のためにあるとは二〜三日前から考えていたことだがそれがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、p.113、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 この「世界は僕のためにある」とか、「それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった」というのは、いったいどういうことを意味するのでしょう?

  1. 「世界は僕のためにある」とは何か。
  2. 「世界は僕のためのある」というのが違和感を与える、とは何か。


 つぎの場面に進むまえに、そのふたつについて、立ち止まって考えてみますよ。


 ここまで、小林さんがしきりに「現実を自分に都合良く解釈している」のを見てきていますよね(これからも見ていくことになりますけど)。そうした解釈を、小林さんはこの早稲田大学訪問日の数ヶ月まえから、しきりにするようになったと言っていました。みなさん、覚えていますか。小林さんは、野坂昭如にまつわるふたつの出来事を例に、そのことをこう説明していましたよね*1

パラダイム・ブック』で想像力を刺激されたのかどうかわからないが、この頃からテレビラジオ本からの情報に過敏に反応して色んなメッセージを受け取るようになった


例えば、この時期一番好きなタレントはとんねるずだったが、『オールナイトニッポン』で石橋貴明野坂昭如に殴打された場面を見て、その野坂のあまりの醜態ぶりに、「彼は自分を犠牲にしてとんねるずを応援しようとしているのではないか」と想像してしまった。


野坂が衆院選で新潟3区から立候補した時も、「彼は本当は田中角栄が好きで、角栄とその陣営を鼓舞するために、自分を捨て駒にしたのではないか」と思っている。僕は田中角栄野坂昭如も好きなので、これが一番都合がいい解釈だった(同書pp.54-55、ただしゴシック化は引用者による)。


 小林さんは、早稲田大学訪問日の数ヶ月まえから、そのようにしきりに「メッセージを受けとる」ようになった。つまり、「現実を自分に都合良く解釈する」ようになった。そして、そんなふうにしきりに現実を自分に都合良く解釈しているうち、「現実(世界は僕のためにあるという誤った手応えをヒシヒシと感じるようになったのではないでしょうか。


 それが、この早稲田大学訪問日の二、三日まえのことだった。ほら、ふたつまえの引用文中で小林さんはこう言っていましたね? 「『世界は僕のためにある』とは、二〜三日前から考えていたことだが」って。


 いままず小林さんの言う世界は僕のためにあるというのが何なのか確認しました。しきりに「現実を自分に都合良く解釈している」うち、「現実(世界)は僕のためにある」という誤った手応えを小林さんは感じるようになっていたのではないかということでしたね。





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2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


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*1:そう説明していた場面を下の記事で見ました。

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(3/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25


◆ずっと抱いていた疑問が解けたとき

 先の引用の直後をさらに見ていきますよ。先のほうで予告しておきましたように*1、小林さんが、立てつづけに可愛い女性に出会ったことをはじめとした、いろんなことにここまでずっと、「不自然さを感じつづけていたことがついに明らかになります。

どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにあるというシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。


世界は僕のためにある」とは、二〜三日前から考えていたことだが、それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった。僕の直面した世界は、いつも見知っている世界とはちょっと違うのだ。特にこの早稲田大学は。


会う女の子すべてが僕好みの可愛い女の子なのも
イスラエル人に会うのも外でばったり寿里先生に会うのもゴミ箱の中身が僕と関係のある品々ばかりなのもすべて偶然なのだろうか


何者の仕業かはわからなかったが
僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じているのではないか、そんな気がし始めた(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.113-114、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 出くわす若い女性がみんな可愛いのも、イスラエル人に会うのも(この考察ではとり挙げていません)、外でばったりお目当ての寿里先生に出会うのも、クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しいのも、すべて十分あり得ることですし、現にそれはあったこと(現実)ですよね。でも、小林さんからすると、そうしたことどもはみな、起こるはずがなかった。


 いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信があったんだ、って。


 そして、そんな自信があった小林さんには、そうしたことどもが現に起こっているのが「不自然」と感じられてならなかった。なぜ起こっているはずのないことが現にこうして起こっているのかと不思議に思われてならなかった。


 このように「現実自信とが背反し、首をひねることになっているとき、ひとにとることのできる手はやはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する。


 で、密かにずっと首をひねりつづけていた小林さんはここでついに、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが現に起こっているはずないもんな。何者の仕業かはわからないが、誰かが「僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」な、って。


 結果、小林さんは、その得体の知れない「何者か」の悪意に怯えはじめることになったのではないでしょうか。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめるとこうなります。

  • ①出くわす若い女性がみんな可愛かった。イスラエル人に会った。外でばったりお目当ての寿里先生に出会った。クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しかった(現実)。
  • ②ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが起こっているはずはない。何者の仕業かはわからないが、誰かがボクをどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」(現実を自分に都合良く解釈する





2/6に戻る←) (3/6) (→4/6へ進む

 

 




2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の短編(短編NO.24)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:予告したのは下の記事で、でした。