*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.26
あらすじ
小林和彦さんの『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫、2011年)という本をとり挙げさせてもらって、今回で6回目です(全9回)。小林さんが統合失調症を「突然発症した」とされる日の模様からはじめ、現在はその翌日を見ているところです。
統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたその小林さんが、(精神)医学のそうした見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であることを、実地にひとつひとつ確認しています。
今回の目次
・誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声
・ふたつ目の案
・男女が「あっちへ行けば楽なのにね」と囁く
・そば屋のおかもちから割り箸をとり出した時
・ここまでを簡単に振り返る
◆誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声
統合失調症を「突然発症した」とされる日の翌日、7月25日(金)に、小林さんが母校、早稲田大学を訪れたときの様子を見ているところです。
つづきを追っていきますよ。ついさっき、小林さんが、「世界は僕のためにある」ということの恐ろしい真の意味を忽然と理解したと思った場面を見ましたよね。その直後のことです。
誰かが「やった!」と嬉しそうに叫ぶ声がした。ミック〔引用者注:小林さんの友人〕の声に聞こえた。誰かが僕の様子を遠くからカメラで撮影しているような気もした。僕が真実を知ることを、他のみんなは待ち望んでいたのではないか、と思った。そして僕も真実を知りたいと思っていた。しかし、僕が直面した真実は、とてつもなく恐ろしく、僕は正気を保ち続ける自信を失った(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.115-116、ただしゴシック化は引用者による)。
ひょっとするとこのとき、「世界は僕のためのある」ということの真の意味を理解したと思った小林さんは、とうとう謎を解明した際にひとが覚える喜びを感じたのかもしれませんね。そして、「やった!」と胸のうちで快哉を叫んだのかもしれませんね(現実)。
だけど、小林さんからすると、そんな深刻な状況下にいる自分が、胸のうちで喜びの声を上げたりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないという自信が、って。
小林さんは胸のうちで快哉を叫んだ(現実)。しかしその小林さんには、自分が快哉を叫んでいるはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には今回も思われます。
- A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、小林さんはこの場面でも後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
その「やった!」という歓声はボクのものではない。ボクが真実を解き明かしたのを、味方である友人ミックか誰かが喜んで上げている叫び声にちがいない、って。
いまの推測を箇条書きにしてまとめてみますよ。
- ①「世界は僕のためにある」ということの真の意味をついに理解したと思い、胸のうちで快哉を叫んだ(現実)。
- ②自分が胸のうちで快哉を叫んでいるはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「その『やった!』という歓声はボクのものではない。ボクが真実を解き明かしたのを、味方である友人ミックか誰かが喜んで上げている叫び声にちがいない」(現実を自分に都合良く解釈する)
2021年10月1,2日に文章を一部修正しました。
*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.6)。
- vol.1
- vol.2
- vol.3
- vol.4
- vol.5(前回)
- vol.7(次回)
- vol.8
- vol.9
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。