*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.25
◆「世界は僕のためにある」への違和感
では、つぎに、この「世界は僕のためにある」というのが違和感を与える、ということの意味について考えてみましょうか。
この日、早稲田大学に向かいはじめてからここまで、小林さんはしきりに「現実を自分に都合良く解釈して」きています。小林さんはそうして「現実を自分に都合良く解釈する」都度、「現実(世界)は僕のためにある」という誤った手応えをヒシヒシと感じていたのではないでしょうか。
で、そのことを、成増駅の駅名標示から駄洒落を思いついたときにもちいた例の仕方で*1、こう解したのかもしれませんね。
「世界は僕のためにある」というシグナル(意味もしくは暗号)が、誰からかはわからないが、しきりにボクのもとに送られてくる、って。
さて、早稲田大学に来るまでは、「世界は僕のためにある」という誤った手応えをそのように感じるたび、小林さんは満足できていたのかもしれませんね。だけど、早稲田大学にやってきたこの日は違った。この日は、「世界は僕のためにある」という誤った手応えをヒシヒシと感じても、満足はできなかった。
ほら、いまさっき、クズかごのなかを見た小林さんが、「現実を自分に都合良く解釈した」結果、ついにこう考えることになったのを確認しましたよね。「何者の仕業かはわからなかったが、僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」んだ、って。そうして小林さんは、その正体不明の「誰か」の悪意に怯えはじめることになったんだ、って。
このように、「現実を自分に都合良く解釈」し、「世界は僕のためにある」という手応えをヒシヒシと感じても、この日は満足できない。そこで小林さんは、そのことをこういった言い方で表現しようとした、ということなのではないでしょうか。
「世界は僕のためにある」というのが「こんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった」、って。
そして小林さんはこう考え進めたのかもしれませんね。「世界は僕のためにある」ということの意味をボクはとり違えていたんだ、って。これまでは、「世界は僕に好ましいものである」ということを意味していると思われていたが、実はそうではなかったんだ。「世界は、僕のもっているイメージが反映されたものである」ということをほんとうは意味していたんだ、って*2。
ところが、そう結論づけた途端、小林さんは恐怖に襲われることになります。
先の引用文のすこしあとを見て確かめてみますよ。
2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.24)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。