*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.26
◆そば屋のおかもちから割り箸をとり出した時
どんどん先に進みます。さっきの引用の直後を見ますね。小林さんはその悪意ある「何者か」にジリジリと追い詰められていきます。
ところがその路地は工事中で、大きな石ころが今にも崩れかかってくるように積まれていたのだ。僕はそこを避け、しかたなく人通りの多いグラウンド坂下へ向かって言った。
すれ違う人が皆、僕に殺意を持っているような気がして、「殺さないでください。殺さないでください」と会う人会う人に頼みながら歩いて行った。相手は僕に会釈するような態度をとったが、今にして思えば、僕を「アブナイ人」と判断し、目をそむけていたのだろう。
何を思ったか、近くに止まったそば屋のバイクのおかもちを開け、中から数本の割り箸を取り出し、その意味するものを必死で考えた。それも何かの暗号のはずだった。しかし、意味はわからなかった。
今、手に持っているプラパズル〔引用者注:おもちゃ〕の全組み合わせを完成させれば、この地獄から逃げられるかもしれないと思ったが、それは不可能で、絶望感を高めるだけだった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.117-118、ただしゴシック化は引用者による)。
小林さんは、それで何かができると考え、「近くに止まったそば屋のバイクのおかもちを開け、中から数本の割り箸を取り出し」たのかもしれませんね。だけどそれは、追い詰められてとっさにとった、「意味の無い」行動にすぎなかった(現実)。せっぱ詰まったとき、そうした「意味の無い」行動をついとってしまうこと、みなさん誰しも、ありませんか(もちろん俺はありますよ)?
でも、小林さんからすると、自分がそこで、「意味の無い」行動をとったりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてしまいましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分が「意味の無い」行動をとっているはずはないという自信が、って。
小林さんはせっぱ詰まって、とっさに「意味の無い」行動をとった(現実)。ところが、その小林さんには、自分が「意味の無い」行動をとっているはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われて仕方ありません。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、小林さんはこの場面でも、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が「意味の無い」行動をとっているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
割り箸をとったことに「意味はあった」。ただその意味が自分には解読できないだけだ、って。
ほら、現にこう言っていましたよね? 「それ〔引用者注:おかもちのなかから割り箸をとり出すこと〕も何かの暗号のはずだった。しかし、意味はわからなかった」って。
いま確認したことを、箇条書きにしてまとめるとこうなります。
- ①そば屋のバイクのおかもちを開け、中から数本の割り箸をとり出すという「意味の無い」行動を、せっぱ詰って、ついとってしまった(現実)。
- ②自分が「意味の無い」行動をとっているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「割り箸をとり出したこと、『それも何かの暗号のはずだった。しかし、意味はわからなかった』」(現実を自分に都合良く解釈する)
2021年10月1,2日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.25)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。