*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.21
目次
・発症数ヶ月前から始まった「メッセージを受けとる」
・野坂昭如、とんねるず石橋貴明を殴る(出来事1)
・野坂、衆院選で新潟3区から出馬する(出来事2)
・現実を自分に都合良く解釈する
◆発症数ヶ月前から始まった「メッセージを受けとる」
この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを、以前、論理的に証明しましたよね。
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その証明をしたときの記事をいちおう挙げておきますね。
(注)もっと簡単に証明する回はこちら。
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そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなどただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事もいちおう貼り付けておきますよ。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、つぎのように、やれ「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってきましたよね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
最近はずっと、統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
くどいと思われるかもしれませんが、今回もまたそうしますよ。
今回をふくめ、全9回にわたって、小林和彦さんの『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫、2011年)をとり挙げさせてもらいますね。
その文庫本のまえがきで、アニメーション監督の望月智充さんはこう書いています。
小林和彦という市井の人間が、二十代で統合失調症を発症して、その発端から現在に至るまでを本人が克明に書き綴った記録、それが本書だ(同書p.3)。
小林は大学卒業後にアニメーション制作会社へ就職して、二年数ヶ月後に突然発症した(同書p.4)。
この本は、小林さん本人が自身の幼年期から語りはじめ、小学生時代、中学生時代、高校生時代、大学生時代、社会人時代へと順に話を進めていくかたちをとっています。今回はそのなかから、小林さんが統合失調症を「突然発症した」とされる日とその翌日の記述を見させてもらうことにしますね。統合失調症の症状と見なされ、「理解不可能」と決めつけられてきたその日の小林さんの言動が、ほんとうは「理解可能」であることを、ひとつひとつ実地に確認していきますね。
2021年9月18,19日に文章を一部修正しました。
*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.1)。
- vol.2
- vol.3
- vol.4
- vol.5
- vol.6
- vol.7
- vol.8
- vol.9
*前回の短編(短編NO.20)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。