*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.19
目次
・「幻聴」と「幻覚」を2回に分けて考察する
・「カガヤ臭い」という声が聞こえてくる(幻聴)
・「現実」を「予想」のほうに合わせる
◆「幻聴」と「幻覚」を2回に分けて考察する
この世に異常なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。
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その証明をしたときの記事を一応挙げておきますね。
(注)もっと簡単に証明する回はこちら。
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そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなどただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事も一応挙げておきますよ。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、(精神)医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、つぎのように、やれ「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってきましたよね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.30、ただしゴシック化は引用者による)。
さあ、今回もまた、最近ずっとやっている通りにやりますよ。統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちのなかから、実際にひとり登場してもらい、そのひとがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認していきますよ。
今回は、お笑い芸人のハウス加賀谷さんに登場してもらいますね。相方の松本キックさんがそのハウス加賀谷さんについて記した本、『相方は、統合失調症』から、ハウス加賀谷さんの、いわゆる幻聴体験と幻覚体験の、計2つを見ていきます。
2021年9月13日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.18)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。