*身体をキカイ扱いする者の正体は第18回
精神医学は患者を精神に異常があるものとして理解しようとします。しかしそれでは患者のことを理解できないどころか、むしろはなっから理解するのを拒絶することになると申しました。精神医学が精神に異常があるものと診断するひとたちを真に理解するには、
- そのひとたちを異常のあるものと見るのをやめ、
- そのひとたちのことを、いわゆる健常者(精神医学に精神を正常であると判定されるひとたち)を理解しようとするときのように理解しようとする(そのひとの身になって考える)
必要があることをいま確認している最中です。
統合失調症と診断された青年を見ました。統合失調症の別の例に参りましょう。今度はみなさん、Cさんのことを「Cさんの身になってお考え」ください。
ジャズ・トランペッターで作曲家のC(引用者注:引用に際してお名前は伏せさせていただきます)は、統合失調症を克服したミュージシャンとして知られている。Cは、八歳のときからトランペットをはじめ、十代のときには、その才能を示した。頭脳優秀だった彼は、スタンフォード大学に進学するが、その頃から不安定な徴候を示しはじめる。十八歳のとき、突然自殺未遂をして家族をうろたえさせた。しかし、統合失調症と診断されたのは、二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりみられるようになってからである。ある日、オレンジジュースをのんでいると、幻聴が彼に命令したのだ。「窓から飛び出せ」と。Cは、窓ガラスに向かってジャンプした。窓ガラスは割れ、彼は血まみれになったが、辛うじて外に飛び出さずに済み、転落死を免れた(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2016年、93ページ、2010年)。
みなさんは話をお聞きになりながら、「Cさんの身になって」こうお考えになっていたのではないでしょうか。
「Cさんは鬱屈とした苦しい日々を長いあいだ過ごしていた。そしてある日オレンジジュースを飲んでいるとき、鬱屈とした苦しい気分を吹き飛ばそうとする荒々しい気持ちがみずからのうちで高まってくるのを感じた。窓ガラスを破って外に飛び出したくなった。で、窓ガラスに向けて突進した! 窓ガラスが割れ、血まみれになった! だがそのいっぽうでCさんにはゆるぎない自信があった。自分は窓から飛び出そうとするような人間ではないという自信が。そんな自信を持ったCさんには、窓から飛び出そうとする自分の意思が誰かの声と解され、みずから飛び出そうとしたことが、その声に強いられてしたことと受け取られた」
いまみなさんが「Cさんの身になってお考え」になったところを箇条書きでまとめますと、こうです。
- ① Cさんが窓から飛びだそうとする。窓ガラスは割れ、血まみれになる(現実)。
- ② Cさんには、自分は窓から飛び出そうとするような人間ではないというゆるぎない自信がある。
- ③ そんな自信を持ったCさんには、窓から飛び出そうとする自分の意思が誰かの声と解され、みずから飛び出そうとしたことが、その声に強いられてしたことと受け取られる(Cさんの現実解釈)。
つぎに移ります。ひきつづき、統合失調症と診断されたひとの例です。
ある若者は、よく「奴隷になれ」という声が聞こえてくると訴えた。若者は気弱な性格で、自分のしたいことがあっても、抑えてしまうところがあった。本当は、進みたい分野があったのだが、周囲の勧めに従ってそれは諦め、別の分野に進んだのだ。若者の気持ちの奥底には、自分は他人の意思に従属させられているという思いがあったと考えられる(同書94〜95ページ)。
みなさんはすでに「この若者の身になって」こうお考えなのではないでしょうか。
「若者は獣医学部に行きたかったのに、周囲に医学部へ行くよう強く勧められていたのだと仮定すると、最終的に若者は自分自身に『奴隷にな』って医学部に行けと命令したということになる。このとき『奴隷にな』って医学部に行けと若者に命令したのは若者自身である。だが、若者にはゆるぎない自信があった。自分はひとの奴隷になろうとするような人間ではないという自信が。そんな自信のある若者には、奴隷になろうとする自分の意思が誰かの声と解され、みずから奴隷になろうとすることが、その声に奴隷になるのを強いられることと受け取られた」
いまみなさんが「若者の身になってお考え」になったところは、箇条書きでまとめますとこうです。
- ① 若者が周囲の奴隷になろすとする(現実)。
- ② 若者には、自分はひとの奴隷になろうとするような人間ではないという自信がある。
- ③ そんな自信のある若者には、奴隷になろうとする自分の意思が誰かの声と解され、みずから奴隷になろうとすることが、その声に奴隷になるのを強いられることと受け取られる(若者の現実解釈)
さて、「Cさんや若者の身になって考え」てこられたみなさんは、つぎのような結論にたどり着かれたのではないでしょうか。すなわち、自分はいまCさんや若者を十分には理解し得なかったかもしれないけれども、少なくとも、精神に異常があるものとして理解しようとする場合よりもぐんとCさんや若者に近づき得た。そしてCさんや若者を自分と同じ人間であるとひしひしと実感できるようになった、と。
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