*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第5回
◆大木に言えたことは当然「ひと」にも言える
状況・最小単位説と俺がなづけた、なんぴとも無視することのできないこの世の根本原理について確認したじゃないですか。みなさんのお家の広大な庭のなかを、前方の大木目指し、みなさんと一緒に歩きながら、つい先ほど、ね? 大木であれ、俺の身体であれ、太陽であれ、音であれ、他人の身体であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだ。つまり、状況こそ、この世の最小単位なんだ、って確認しましたよね。
(みなさんと俺が目指して歩みよっている大木はこちら)
こうして確認したことは、大谷翔平選手とか、体操の内村選手とか、羽生さん、そうあの無敵の棋士、とか、みなさんとかといった「ひと」を捉える場合にだって当然、当てはまりますよね。ひとを捉えるというのも「状況を捉える」ということですよね。いや、もっと正確にこう言い直しましょうか。ひとを捉えるというのは、そのひとが渦中にいる状況(ただしそのひとを状況の一部分と見る。以下同様)を捉えるということですよ、って。
蛇足になるとは思いますけど、そのことを一応、以下で確認させておいてもらいますね。
医学に統合失調症と診断されたつぎの男性患者さんを見てみましょうよ。なぜ統合失調症と診断されたひとをって疑問に思います? 安心してください、いずれその理由はわかりますよ。
家族から、よく電話で浪費を諫められている男性患者は、電話でガミガミ叱責された後で、幻聴がすると訴えた。幻聴は、「小遣いばかり使って」「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と自分を非難する内容だった(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、95頁、2010年)。
男性患者さんは電話で家族に怒られたあと、気にするようになったんじゃないですかね。他のひとたちも家族とおなじように、その男性患者さんのことを内心では「小遣いばかり使って」とか「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」といったふうに悪く思っているんじゃないか、って。だけど男性患者さんには思いも寄らなかった。まさか自分が、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと気にしているのだとは。いや、いっそ、こう言ったほうがいいかな。男性患者さんには自信があった。ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信が、って。
そして、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信にもとづいて、男性患者さんは現実をこう解したんじゃないですかね。
声が「小遣いばかり使って」とか「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と悪口を言ってきて、わたしを困らせる、って。
現実はコレコレこういうものであるはずだという自信を誰しも持っているじゃないですか。だけど、その自信と、実際の現実とが背反するなんてこと、よくあります、ね? 男性患者さんには、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと自分が気にしているはずはないといった自信があった。だが、現実はその反対だった。実に男性患者さんは、ひとに内心悪く思われているんじゃないかと気にしていた! そんなふうに自信と現実が食いちがうとき、みなさんならどうします?
- 現実に合うよう自信のほうを修正する。
- 自信に合うよう現実を解釈する。
どっちをとります?
1、です、よ、ね? でもみなさんは、その手をとれる保証がないこともまた、よく知っているんじゃないかな。つい、自信に合うよう現実を解釈しちゃうこと、誰しもありますもんね。今日プレイの調子はいまいちである(現実)、しかしわたしがこんなスコアになるはずはない(自信)、そうである、道具が悪いのである、安物はやはりダメなのである(自信に合うよう現実を解釈)、なんてふうに道具のせいにしちゃったりするようなこと、みなさんにもよくあるんじゃないのかな。
男性患者さんも、みなさんがふだんついやってしまうように、先の2番をとっちゃった。自信に合うよう現実を修正解釈しちゃった、というところなんじゃないですかね。
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