(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学がやっているように身体を機械と見なすと、こんなふうに快さや苦しさの意味がまったくわからなくなって、もう頭が爆発しちゃいそうだ(4/4)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.54


◆快さと苦しさがやっぱりここでもうっちゃられる

 みなさんはふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか(快い)、苦しいか」を争点にするということでした。でも、この説をとると、やれ健康だ、やれ病気だと言うことによって争点にするところは、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」ではなくなります。


 好物への接近行動をとるべきときに、その行動が起こるよう、事前にそのためのウォーミングアップ(快情動)が身体にしっかりと起こるか。もしくは、敵からの逃避行動をとるべきときに、その行動が起こるよう、事前にそのためのウォーミングアップ(不快情動)が身体にしっかりと起こるか。


 そのように、快さと苦しさについては、しかるべき時に適切なウォーミングアップがそれぞれ身体にちゃんと起こるかどうかが争点になります。


 要するに、もうすこし踏み込んで言うと、医学は快さと苦しさについても、こんなふうに「正常か、異常か」を争点にするしかなくなるということです。


「快情動というウォーミングアップは、好物への接近行動まえに身体に起こるよう(たとえば遺伝子によって)定められている。で、いまこの状況は、好物への接近行動が起こるべき場面である。にもかかわらず、いまその接近行動のためのウォーミングアップは身体に起こらなかった(だから、起こるべき好物への接近行動は起こらなかった)。これは『異常(行動)』だ。治療が必要である」


 またはこう。


「不快情動というウォーミングアップは、敵からの逃避行動まえに身体に起こるよう定められている。で、いまこの状況は、敵からの逃避行動が起こるべき場面である。にもかかわらず、いまその逃避行動のためのウォーミングアップは身体起こらなかった(だから、起こるべき敵からの逃避行動は起こらなかった)。これは『異常(行動)』だ。正常にしてやらなければならない」

 

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この世に異常ということはあり得ないと下の記事で確認しました。ひとを正常と異常とに分けることは、一部のひとたちを、ほんとうは正常と認められるべきであるにもかかわらず、異常と決めつける差別であるということでしたね。

1.すこし込み入った確認法

2.上記よりもっと簡単な確認法

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 感情を勝手に行動のためのもの(ウォーミングアップ)と決めつけてしまった結果、快さや苦しさについて考えるとき、「正常か、異常か」を争点にするしかなくなり、快さと苦しさそのものに向き合って、「苦しくないか(快い)、苦しいか」自体を争点にすることが  難しいことでも何でもないにもかかわらず  できなくなることが最後に確認できましたね。






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先に挙げた参考図書2冊の中から適宜、文章を引用しながら、今回の論題を点検した過去記事はこちら。

くどいようですが、先に挙げた参考図書2冊とは以下のものです。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.52)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。