(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

身体を機械と考えると、やれ健康だ、やれ病気だと言っているときに、争点にするところが、みなさんのように「苦しくないか、苦しいか」ではなく、「正常か、異常か」になってしまう科学の実例2つ(1/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.7】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.53

目次
・やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって、みなさんが争点にするのは、「苦しくないか、苦しいか」である
・快さ(苦しさ)を、「身体機械」が正常(異常)であることを知らせる、心のなかのサインとする説
・健康や病気を「身体機械」のありようだけを見て決めることになる


◆やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって、みなさんが争点にするのは、「苦しくないか、苦しいか」である

 前回ついに、科学が、機械であるはずのない身体を機械と見なすに至った不幸な瞬間を、まざまざと目撃しましたよね。

 

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その場面

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 そのように身体を機械と見なすと、やれ健康だ、やれ病気だと言っているときに、「苦しくないか、苦しいか」を争点にすることができなくなり、あるまじきことに、「正常か、異常か」を争点にしてしまうことになると最初に指摘しておきました。


 今回から2回にわたって見ていくのは、科学がそうした争点のすり替えをすることになっている実際の様子です。

 

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その争点のすり替えがいかに深刻な損害をみなさんにもたらしてきたかについては、以下の2点を見ました。

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*前回の短編(短編NO.52)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。