*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55
目次
・最後に、快いとは何か、苦しいとは何か
・快さ・苦しさとは「今どうしようとするか、ハッキリしている度合い」のことである
・今という一瞬を、出来事の最中と見る
・今という一瞬を、目的に向かっている瞬間と見る
・その問いには、どう解いているかの他に、どれだけ解けているかという程度問題がある
◆最後に、快いとは何か、苦しいとは何か
機械ではない身体を機械と見なす科学には、快いとか苦しいといった、医学の基礎となるべきはずのものの意味が理解できないということを、先ほど実際に確認しましたよね。
以上数回にわたる、快さと苦しさを題目にした考察はひととおり終わりました。
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快さと苦しさについての、前回までの一連の考察
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でもひょっとすると、こんなふうに考えているひともいるかもしれません。
「それこそ私たちはふだん四六時中、快さや苦しさを気にして生きている。快いとか苦しいといったことは誰にでも即座にわかる、私たちに馴染みのものであるということだ。青という言葉を用いるだけで、青色のなんたるかが即思い浮かぶように、また人間という名を出せば、どういった存在のことを指しているかすぐピンとくるように、快さや苦しさといった言葉を聞けば、私たちは一瞬のうちにそれがいったい何のことを意味しているか理解できる。
そうである。快さとは何か、また苦しさとは何かを、わざわざ事細かに説明されなければ、それらが何であるかわからないなどということはない。
しかしながら、である。しかしながら、それでも敢えて、快さや苦しさとは何であるかと問うとしたら、どうであろう」
どうですか、みなさん。もしそんな声が聞こえてきたら、みなさんなら、その問いにどう答えますか。
今回は、快さと苦しさにまつわるこの一連の考察の締めくくりとして、快さとは何か、苦しさとは何か、というその問いに答えてみたいと思います。
さっそくはじめますね。
*前回の短編(短編NO.54)はこちら。
*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。