(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(4/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.31


◆「真に自覚あるもの」と「真に自覚無きもの」

 さあ、遅ればせながら、核心に近づいてきましたよ。先にこう指摘しておきましたよね。(精神)医学が統合失調症と診断し、「理解不可能」と決めつけてきたひとたちは、ほんとうは理解可能」なんだ、って。


 なら、統合失調症と診断されたそのひとたちが、そのひとたち自身のことを「理解不可能」と見なさなかったとしても、そのひとたちはまっとうな自己認識をもてている、ということになりますね?


 で、現に、そのひとたちは大抵の場合、そのひとたち自身のことを異常(理解不可能)となんか見なさないと言います。


 だけど、そのひとたちのことを「理解不可能」であるということにして差別しておきたい(精神)医学は、そのひとたちがそのひとたち自身のことを「理解不可能」となんか認めないそのことを、まっとうな自己認識をもてているということだとは認めてきませんでした。反対にこう決めつけてきました


 そのひとたちには、そのひとたち自身を理解不可能であると自覚することすらできないんだ。つまり、「病識がない」んだ。その「病識がない」というのは、統合失調症という病気の特徴のひとつなんだ、って。


 で、そのひとたちに、「病識を持つ」こと、すなわちそのひとたち自身のことを理解不可能と見なすようになることを強要してきました


 それもこれも、(精神)医学の人間理解力は未熟であるという真実を、素直に認められないばっかりに、ね? (精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだと、根拠なく、自信満々に思い上がっているばっかりに、ね?


 いまこういうことを確認しましたよ。


「理解不可能」なひとなどこの世にただのひとりも存在し得ない。ひとはみな「理解可能」である。統合失調症と診断されたひとたちが、そのひとたち自身のことを「理解不可能」と見なさないのは、「自覚がない(病識がない)」ということではなく、むしろまっとうな自己認識をもてている(自覚がある)ということである。ほんとうに自覚がないのは、おのれの人間理解力が未熟であることを素直に認められない(精神)医学のほうである、って。


 そんな「自覚のない」(精神)医学が、まっとうな自覚をもてているそのひとたちに、上から目線で、「自覚がない(病識がない)」と言うだなんて、醜悪極まりないではありませんか。


 そりゃあ、温厚なみなさんですら怒らずにはいられないというものですよ。





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2020年に配信する記事はこれが最終です(ひょっとすると別の種類の記事を書くかもしれませんが)。次回は2021年1月4日(月)21:00頃にお目にかかります。


2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/4)はこちら。


*前回の短編(短編NO.30)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。