*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18
目次
・(精神)医学が世間の偏見を正せるはずはない
・「世界的なスーパースターに愛されている」
・感じているところが錯覚である可能性
・「ミュージシャンが愛のメッセージを送ってくる」
◆(精神)医学が世間の偏見を正せるはずはない
(精神)医学はよくこういったことを言いますよね。
統合失調症は、およそ百人に一人が罹患することになる、頻度の高い、身近な疾患である。にもかかわらず、多くの人にとっては、まだ縁遠い不可解な疾患でしかないのが現状である。昔に比べれば、精神科の垣根も低くなったとはいえ、精神病に対しては、依然根深い偏見があり、病気のことを知られることに不安を感じ、家族が、統合失調症患者をひた隠しにしようとする場合もある。そうせざるを得ない現実があるのだ。秘め隠すことで現実を知ってもらえず、余計に周囲の理解が育まれないという悪循環もあった。
だが、今や時代は大きく変わろうとしている。是非、この疾患について、もっと多くの人に知ってもらい、正しい理解をもってほしい。そして、この疾患の過酷な側面とともに、実に人間的で、親しみの湧く側面にも出合っていただければと思う(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.4、ただしゴシック化は引用者による)。
世間には依然、統合失調症にたいし、根深い「偏見」があって、(精神)医学はそれを正そうとしているんだと、このように(精神)医学はよく言いますね?
だけど、世間のそうした「偏見」を(精神)医学が正せるはずはないのではありませんか。
だって、そうではありません? ちょっと考えてみてくださいよ。
この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたよね。
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①異常な人間が存在し得ないことの証明はこちら。
(注)もっと簡単な証明法はこちら。
②「理解不可能」な人間が存在し得ないことの確認はこちら。
(注)もっと簡単な確認法はこちら。
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でも(精神)医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ、「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました。〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司、前掲書pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
こうして、ほんとうは「理解可能」であるそのひとたちを、「理解不可能」であるということにして、差別してきた、「偏見」いっぱいの(精神)医学が、世間に「正しい理解」をもたらすことなど、できるはずないではありませんか。
さて、最近はずっと、(精神)医学に統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとに実際に登場してもらい、そのひとがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
今回もまたおなじことをしますよ。
今回は女性ふたりに登場してもらいますね。
2021年9月13日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.17)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。