*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.29
◆全9回をとおして確認できたこと
さて、ここまで、小林さん本人が、統合失調症を「突然発症した」とされる日とその翌日の模様を、赤裸裸かつ克明に語ってくれているのを、謹聴してきました。大変勉強になりましたね。俺、小林さんにたいする感謝でいっぱいです。自分自身や、世間のひとたちみんなのことを今一度、深く学びなおす貴重な、得がたい機会になりました。
みなさんはどうでしたか。
(精神)医学はこうした小林さんのことを統合失調症と診断し、「理解不可能」と決めつけてきましたよね。でも、ほんとうに小林さんのことを「理解不可能」であると、みなさん、思いましたか。
むしろ、「理解可能」であると確信したのではありませんか。
小林さんは単に、みなさんや世間のひとたちがふだんよくやるように、「現実を自分に都合良く解釈していた」にすぎませんね?
いや、もちろん、小林さんのことをいま完璧に理解し得たと言うつもりは俺にはサラサラありませんよ。反対に、小林さんのことを、多々誤ったふうに決めつけてきてしまったのではないかと、非常に気が咎めてならないくらいですよ。ひとを的確に理解することや、文字で正確に表現することの絶望的なまでのむつかしさに歯ぎしりしながら、胃の辺りを抑えているところですよ。
だけど、そんないまの考察からでもさすがに、十分明らかになりましたよね。小林さんが(精神)医学の見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であるということは?
みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、小林さんのことが完璧に理解できるということは、いま十分に示せましたね?
そんな小林さんのことが(精神)医学に理解できないのは、単に(精神)医学の人間理解力が未熟であるということにすぎないと、いま、極めてハッキリしましたね?
2021年11月8,9日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.28)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。