*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.31
◆おのれの人間理解力が未熟であることの自覚がない
そうした差別的扱いを受けてきた例として誰にもまず、ぱっと思い浮かぶのは、統合失調症と診断されてきたひとたちではないでしょうか。そのひとたちはつぎのように、やれ「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言われ、ずっと「理解不可能」な者扱いされてきましたよね。
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に説くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
ですけど、ついいまさっき確認しましたように、そのひとたちはほんとうは「理解可能」です。そのことは、事例を挙げて実地に確認することもできます(現にそれを長々とやってきていますよね?)。(精神)医学がそのひとたちのことを理解できないのは、単に、(精神)医学の人間理解力が未熟であるということを意味するにすぎません。
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「理解不可能」なひとなど存在し得ないということを、事例を挙げて実地に確認している記事はこちら。
そのことを簡単な仕方で、理論的に確認する回はこちら。
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ところが(精神)医学には、おのれの人間理解力が未熟であるという自覚はまったくありません。むしろ、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信すら、揺るぎなく、あります。そしてその自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解してきました。
そのひとたちは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」であると考えられる、って。
いま言ったことを箇条書きにしてまとめるとこうなります。
- ①人間理解力が未熟な(精神)医学には、「理解可能」なそのひとたちのことが理解できない(現実)。
- ②(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、(精神)医学は現実をこう解釈する。「そのひとたちは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、『理解不可能』であると考えられる」(現実修正解釈)
2021年11月10,11日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/4)はこちら。
*前回の短編(短編NO.30)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

