(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(3/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25


◆ずっと抱いていた疑問が解けたとき

 先の引用の直後をさらに見ていきますよ。先のほうで予告しておきましたように*1、小林さんが、立てつづけに可愛い女性に出会ったことをはじめとした、いろんなことにここまでずっと、「不自然さを感じつづけていたことがついに明らかになります。

どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにあるというシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。


世界は僕のためにある」とは、二〜三日前から考えていたことだが、それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった。僕の直面した世界は、いつも見知っている世界とはちょっと違うのだ。特にこの早稲田大学は。


会う女の子すべてが僕好みの可愛い女の子なのも
イスラエル人に会うのも外でばったり寿里先生に会うのもゴミ箱の中身が僕と関係のある品々ばかりなのもすべて偶然なのだろうか


何者の仕業かはわからなかったが
僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じているのではないか、そんな気がし始めた(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.113-114、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 出くわす若い女性がみんな可愛いのも、イスラエル人に会うのも(この考察ではとり挙げていません)、外でばったりお目当ての寿里先生に出会うのも、クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しいのも、すべて十分あり得ることですし、現にそれはあったこと(現実)ですよね。でも、小林さんからすると、そうしたことどもはみな、起こるはずがなかった。


 いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信があったんだ、って。


 そして、そんな自信があった小林さんには、そうしたことどもが現に起こっているのが「不自然」と感じられてならなかった。なぜ起こっているはずのないことが現にこうして起こっているのかと不思議に思われてならなかった。


 このように「現実自信とが背反し、首をひねることになっているとき、ひとにとることのできる手はやはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する。


 で、密かにずっと首をひねりつづけていた小林さんはここでついに、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。


 さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが現に起こっているはずないもんな。何者の仕業かはわからないが、誰かが「僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」な、って。


 結果、小林さんは、その得体の知れない「何者か」の悪意に怯えはじめることになったのではないでしょうか。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめるとこうなります。

  • ①出くわす若い女性がみんな可愛かった。イスラエル人に会った。外でばったりお目当ての寿里先生に出会った。クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しかった(現実)。
  • ②ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが起こっているはずはない。何者の仕業かはわからないが、誰かがボクをどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*前回の短編(短編NO.24)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

*1:予告したのは下の記事で、でした。

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(2/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25


◆クズかごの中身に不自然さを感じる

 さあ、どんどん先に進みましょう。さっきの引用の直後を見ますよ。

 その後、演劇博物館へ行き、大隈庭園へ行った。(略)


 グラウンド坂の方へ行こうと、再び大学構内へ入っていった。一五号館前にワンゲルか何かのサークル員がたむろっていて、ラジウスという懐かしい言葉を耳にした。


 ふと、クズかごに目がとまり、近づいてみるとビックリした。その中に捨てられてあったのはカロリーメイトの空き箱カップスープの空き箱ポカリスエットの空き缶など僕愛用の品々ばかりでしかも真新しくてゴミという感じがしなかった僕がここへ来るのを察知していて何者かがあわてて集めたような不自然さを感じたこんなきれいなゴミが世の中にあるものなのだろうか(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.112-113、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 クズかごが小林さんの目にとまったとのことでしたね。近づいて行ってみると、そのクズかごのなかに「カロリーメイトの空き箱、カップスープの空き箱、ポカリスエットの空き缶など」が認められた。


 けど小林さんからすると、小林さん愛用のそうした品々が、真新しいまま、目のまえのそのクズかごに、捨てられるはずはなかったのではないでしょうか。いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、そうした品々が目のまえのクズかごに捨てられていはずはないという自信があったんだ、って。


 小林さんの愛用品ばかりが、真新しいまま、目のまえのクズかごに捨てられている(現実)。しかしその小林さんには、そうした品々がそこに捨てられているはずはないという「自信」がある。


 このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、先にも言いましたように、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。

  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 ではその場面でもし小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、ここでも想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんは、こんなふうに「自信」を改めることになっていたのではないかと、みなさん、思いません?


「いや、よく考えてみると、ボクの愛用品ばかりが、真新しいまま、そのクズかごのなかに捨ててあっても、何らおかしなことはないな。ボクが、そうしたことはあり得ないと勝手に思い込んでしまっていただけだな」


 でもその場面で実際に小林さんがとったのは後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。すなわち、そうした品々が目のまえのクズかごに捨てられているはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。


 さては、「僕がここへ来るのを察知していて、何者かがあわてて〔そうした品々をクズかごに〕集めた」んだな。そうでもなければ、ボクの愛用品ばかりが、真新しいまま、そのクズかごに捨てられてあるはずないもんな、って。


 いまの推測も、箇条書きにしてまとめてみます。

  • ①小林さん愛用の品々が、真新しいまま、目のまえのクズかごに捨ててある(現実)。
  • ②そうした品々が目のまえのクズかごに捨てられているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さては、『僕がここへ来るのを察知していて、何者かがあわてて〔そうした品々をクズかごに〕集めた』んだな。そうでもなければ、ボクの愛用品ばかりが、真新しいまま、そのクズかごに捨てられてあるはずないもんな」(現実を自分に都合良く解釈する)。





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2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.24)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「何者かが僕に、世界は僕のためにあるというシグナルを送り続けている」を理解する(1/6)【統合失調症理解#14-vol.5】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.25

あらすじ
 小林和彦さんの『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫、2011年)という本をとり挙げさせてもらって、今回で5回目です(全9回)。

 小林さんが統合失調症を「突然発症した」とされる日の模様からはじめ、現在はその翌日を見ているところです。

 統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたその小林さんが、(精神)医学のそうした見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であることを、実地にひとつひとつ確認しています。

  • vol.1(下準備:メッセージを受けとる)
  • vol.2(朝刊からメッセージを受けとる)
  • vol.3駅名標示から意味、暗号を受けとる)
  • vol.4早稲田大学で学生3人組と会話する)

 

今回の目次
・お目当ての先生にお願いを断られる
・クズかごの中身に不自然さを感じる
・ずっと抱いていた疑問が解けたとき
・「世界は僕のためにある」という誤った手応え
・「世界は僕のためにある」への違和感


◆お目当ての先生にお願いを断られる

 考察を再開しますね。


 統合失調症を「突然発症した」とされる日の翌日、7月25日(金)、母校、早稲田大学を訪れ、「学生会館」「一四号館ラウンジ」を順に回った小林さんはその後、お目当ての先生のもとに向かいます。

 一四号館を出て、早稲田へ来た一番の目的である、産業社会学の寿里先生に会いに行くべく、研究室の方へ足を向けた。すると偶然、寿里先生が、誰か若い男を伴って歩いているのに出くわした。僕は先生に向かって歩み寄り、


「一九八四年卒業の小林と言います。先生のゼミはとりませんでしたが、社会学、産業社会学で先生の講義を受けまして……」


 と、自己紹介しようとしたが、先生は、「わかったわかった」とでも言いたげに僕の言葉をさえぎった。


「どうしても話したいことがあるんです」


 と言うと、先生は、


「今、大事な会議の前だから駄目だ」


 と言った。それなら来週の火曜日はどうかと聞くと、


「来週の火曜日ならいい」


 と言ってくれた。僕は、会議に興味を持ち、


その会議に僕も参加させてくれませんか


 と言うと二人は笑って、「駄目だと言った僕はその会議というのは目覚めようとしている僕に対する処遇を話し合うんじゃないかいやそうに違いないと確認してしまった(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.111-112、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 どうでした、みなさん? ここでも、小林さんが「現実を自分に都合良く解釈している」のが見てとれたように、思いませんでしたか(またもや確認しますけど、小林さんを批判しようとしてこんなことを言っているのではありませんよ。ふだん誰もがかなりの頻度と度合いで、「現実を自分に都合良く解釈します」よね)。


 小林さんは寿里先生にお願いしたとのことでしたね。寿里先生がこれから出席すると言う「その会議に僕も参加させてくれませんか」って。でも、そのお願いは断られた


 まあ、それはそうですよね。先生が「いいよ、じゃあ、君も会議に来なよ」と快諾するとはさすがにちょっと考えにくくはありませんか。


 ところが、小林さんはそうは思っていなかった。小林さんからすると、そこで、小林さんのそのお願いが断られるはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。ほんとうならそのお願いを断られているはずはないという自信が、って。


 小林さんは寿里先生にお願いを断られた(現実)。けど、その小林さんには、ほんとうならそのお願いを断られているはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 ではもしその場面で小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんはこんなふうに「自信」を改めることになっていたのではないかと、みなさん思いません?


「いや、よく考えてみると、そのお願いが断られるのは当然だな。急にやってきた、誰ともわからない卒業生が、大学の会議に参加できるはずないもんな」って。


 でも、その場面でも小林さんが実際にとったのは、後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。すなわち、ほんとうならそのお願いを断られているはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。


 断られたのは、よほどの理由があってのことにちがいないな。さては、ボクに聞かれてはマズイことを会議で話し合うつもりだな。「目覚めようとしている僕に対する処遇を話し合うんじゃないか、いやそうに違いない」


 いまの推測を箇条書きにしてまとめてから、引用のつづきに進みます。

  • ①先生に「自分もその会議に出席させてほしい」とお願いし、断られる(現実)。
  • ②ほんとうならそのお願いを断られているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「断られたのは、よほどの理由があってのことにちがいない。さては、ボクに聞かれてはマズイことを会議で話し合うつもりだな。『目覚めようとしている僕に対する処遇を話し合うんじゃないか、いやそうに違いない』」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.5)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.4(前回)

  • vol.6(次回)

  • vol.7

  • vol.8

  • vol.9


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「自民党有名某政治家の分身が笑うのが聞こえた」を理解する(5/5)【統合失調症理解#14-vol.4】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.24


◆ここまでを簡単に振り返る

 さあ、この要領で引用のつづきをどんどん見ていきますよ。


 いや、それとも、そのまえにこの辺りで一度ここまでをすこしふり返っておきましょうか。


 みなさん、ここまで、どうでした? (精神)医学なら、統合失調症の症状と見なし、「理解不可能」と決めつけるだろう、ここまでの小林さんの言動は、果してほんとうに「理解不可能」であるとみなさんには思われました?


 むしろ、「理解可能だと確信されたのではありませんか。


 小林さんは単に、みなさんや、世間のひとたちや、俺などがふだんよくするように、「現実を自分に都合良く解釈していた」にすぎませんよね? 


 みなさん、よく自分自身のことを考えてみてくださいよ。現実を、とんでもないくらい自分に都合良く解釈すること、しばしばありませんか(俺はしょっちゅうありますよ)。あるいは、そうした解釈をしばしばする、上司、教師、同僚、友人、知人、経営者、従業員、科学者、その他専門家、生徒、コメンテーター、親戚など、みなさんの周りにたくさん思い当たりはしませんか(俺は、思い当たり、ます)。


 もちろん、小林さんのことをいま完璧に理解し得ていると言うつもりは俺にはまったくありませんよ。真相はその逆です。小林さんのことを多々誤ったふうに決めつけてしまっているのではないと気が咎めて仕方がないというのが、正直なところですよ。


 でも、さすがにこれまでの考察からでも、十分明らかになりましたよね。


 ここまでの小林さんが
、(精神)医学の見立てに反しほんとうは理解可能であるということは。


 みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、ここまで見てきた小林さんのことが完璧に理解できるということは、ね?


 にもかかわらず、そんな小林さんのことが(精神)医学に理解できないのは、単に小林さんのことを理解するだけの力が(精神)医学には不足しているということにすぎないと、もう認めざるを得なくなっていますよね?





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次回は9月7日(月)21:00頃にお目にかかります。


2021年9月25,26,27日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.23)はこちら。


*このシリーズは全9回でお送りします(今回はvol.4)。

  • vol.1

  • vol.2

  • vol.3

  • vol.5

  • vol.6

  • vol.7

  • vol.8

  • vol.9


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「自民党有名某政治家の分身が笑うのが聞こえた」を理解する(4/5)【統合失調症理解#14-vol.4】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.24


◆目に涙をいっぱいためてこちらを見ている女性

 さて、つぎの場面に進むまえに、ここで、その3人組のなかの女子学生にちょっと話を戻してみましょうか。小林さんが3人に喋りかけているあいだ、「女の子は僕の方を見て目にいっぱい涙をためていた」とのことでしたよね。小林さんは「それを見て世の中にこんな可愛い女性がいるのかと息を呑んだ」とのことでしたけど、それについては最初に俺、こう言いました。その若い女性はびっくりして目に涙をためていたのかもしれませんね、って。


 みなさんなら、どう思います? 自分が話しているあいだ、若い女性が目に涙をいっぱいためてこちらを見ていたら?


 自分はいま何かおかしなことを言っているのではないかと自分のことを疑いません? この女性をびっくりさせるようなこと、傷つけるとか、怖がらせるとか、悲しませるとかするようなことを、自分はいま何か言ってしまっているのではないかと疑って、アタフタしません? 


 けど、ここで小林さんは、その女性が目に涙をいっぱい浮かべているのを見ても、「世の中にこんな可愛い女性がいるのかと息を呑んだ」と言っているだけでしたね。


 小林さんからすると、その場面でその女性が、小林さんの言うことにびっくりしたりするはずはなかったのかもしれませんね。つまり、こう言い換えると、少々語弊があるかもしれませんけど、そのとき小林さんには、自分に自信があったのかもしれませんね。その女性をびっくりさせるようなことを言っているはずはないという自信が。


 そうした自信が揺るぎなくあればこそ、小林さんは、目に涙をいっぱいためながら女性が小林さんのほうを見ていても、安心して、「世の中にこんな可愛い女性がいるのかと息を呑」むだけでいられた、ということなのかもしれませんね。


 いまの推測についても箇条書きにしてまとめてみるとこうなります。

  • ①女性が目に涙をいっぱいためながらこちらを見ている(現実)。
  • ②その女性をびっくりさせるようなことを言っているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③「世の中にこんな可愛い女性がいるのかと息を呑」むだけで済ませられる(自分に都合の悪いことに気づかない)。





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2021年9月25,26,27日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.23)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「自民党有名某政治家の分身が笑うのが聞こえた」を理解する(3/5)【統合失調症理解#14-vol.4】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.24


 でも、なぜこの場面でいきなり、「田中角栄竹下登の分身」といった発想が小林さんのもとに浮かんできたのでしょう?


 みなさん、ここでちょっと思い出してみてくれませんか。その前日、小林さんは、同僚が会社にもってきた新聞の記事を読んで、本気でこう思ったとのことでしたよね。アニメーションによる体制変革を志している小林さんのことを、国が、その妨害者たちの手から守ろうと動き出したんだ、って。

 

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その場面は下の記事で見ました。

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 けどそんなふうに信じ込むと、こんな疑念を抱くことになると思いません? 時の内閣はボクが体制変革を志していることを知っているのかもしれないな、って。ボクはすでに時の内閣の監視下に置かれているのかもしれない、って。


 その推理どおり、早稲田大学を訪れた小林さんはこのときもう、時の内閣から監視されていると感じ考えるようになっていたのかもしれませんね。であればこそ、急にここで、「田中角栄竹下登の分身」という発想が閃いたのかもしれませんね(あるいはそんなことではなく、ただその男子大学生ふたりがそれぞれ、田中角栄竹下登に似ていたとかいうだけのことだったのかもしれませんけど)。


◆振り返り

 いまこう推測しました。


 小林さんは学生3人組にどんなアニメが好きか質問した。すると、ひとりの男子学生が「『巨人の星』とか」と答え、小林さんはついその答えに内心笑ってしまった(現実)。ところがそのとき小林さんには、自分が好感のもてるその男子大学生のことを笑っているはずはないという「自信」があった。


 このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 では、もしそこで小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、まず想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんは自己嫌悪しながらこんなふうに反省することになっていたかもしれませんね?


「男子学生のことをつい内心、笑ってしまった。自分がそんな申し訳ないことをするなんて、思ってもみなかった。愕然とする。今後は気をつけよう」


 でも、この場面でも小林さんがとったのは、後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。すなわち、自分が好感のもてるその男子大学生のことを笑っているはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは現実をこう解した。


 誰かが笑っている。この男子学生ふたりは実は田中角栄竹下登の分身で、その本体が笑ったんだな、って。


 ここまでずっとしてきたように、いまの推測も箇条書きにしてまとめてみます。

  • ①「好きなアニメは」という問いに男子学生が「『巨人の星』とか」と答えたのにたいして、内心笑ってしまった(現実)。
  • ②その男子大学生のことを笑っているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「誰かが笑っている。男子学生ふたりは実は田中角栄竹下登の分身で、その本体が笑ったんだな」(現実を自分に都合良く解釈する





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2021年9月25,26,27日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.23)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「自民党有名某政治家の分身が笑うのが聞こえた」を理解する(2/5)【統合失調症理解#14-vol.4】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.24


◆大学生3人組と会話する

 立てつづけに可愛い女性に出会ったことや、やけに車が接近してきたことに「不自然さ」を覚えつつ、光が丘公園にやって来た小林さんは、そこで用を済ませたあと、その日の最終目的地、早稲田大学へ向かいます。


 そして早稲田大学に着くと、最初に生協に行き、そこを出てしばらくブラブラしてから、

ジュース片手に学生会館に行き、「卓球同好会」という看板がぶら下がっている所に三人の男女(男二人、女一人)がたむろっているのを見つけ、話しかけた


プラスパズル〔引用者注:おもちゃの名前〕を見せると、男の一人が「見たことがある」と言った。僕は「商学部のOBです」と言って亜細亜堂〔引用者注:小林さんが当時勤めていたアニメーション会社の名前〕の名刺を三人に渡した。


好きなアニメは?」と聞くと一人が「『巨人の星とかと答えた。男は二人とも男前で、女の子はこれまた僕好みの大変可愛らしい顔をしており、三人とも真面目そうで好感が持てた。僕はなぜか、女の子はわからなかったが、男二人は田中角栄竹下登の分身ではないかと思ってしまった男が巨人の星と言った時に誰かが笑う声がしたのだ。最初の幻聴だったのかもしれない。


もう一人の男が「自分も商学部だ」と言うので、僕は彼に、



「産業社会学マーケティング論、広告論をとりなさい」



 とかアドバイスした。他にも何か喋ったが、その間女の子は僕の方を見て目にいっぱい涙をためていた僕はそれを見て世の中にこんな可愛い女性がいるのかと息を呑んだ



 学生会館を出て、「早ア」のたまり場であった一四号館ラウンジへ行く(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.108-109、ただしゴシック化は引用者による)。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

  • 作者:小林 和彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/10/28
  • メディア: 文庫
 


 その若い女性はびっくりして目に涙をためていたのかもしれませんね。いっぽう、男性ふたりはどうでした? 「好きなアニメは何か」と小林さんが質問したのにたいし、そのうちのひとりが「『巨人の星』とか」と答えたとのことでしたね。そのとき、「誰かが笑う声がした」と小林さんは言っていました。


 でもそれは誰の笑い声だったのでしょう?


 たしかなことはわかりませんけど、ひょっとするとそれは、小林さんが胸のうちで立てた笑い声だったのかもしれませんね。


 男子学生が「『巨人の星とかと答えたのを聞き、小林さんは内心、「ださっと思って失笑したのかもしれませんね(もちろん、そうではないかもしれませんよ。これはあくまでも俺の単なる憶測にすぎません。けど、みなさんのなかにも、大学生が「巨人の星」だなんてと思うひと、いるのではありませんか?)。


 だけど、そう答えた男子学生も真面目そうで、小林さんには好感がもてた。小林さんからすると、好感のもてるその男子大学生のことを、その場面で、自分が笑ったりするはずはなかったのかもしれませんね。いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分が好感のもてるその男子大学生のことを笑っているはずはないという自信が、って。


 で、その自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。


 誰かが笑っている、って。


 しかし学生3人組は笑い声を立ててはいない。そこで小林さんはとっさにこう思いついた。


 その学生3人組のうち「男二人は田中角栄竹下登の分身ではないか」。笑い声は、その本体が立てたのではないか、って。





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2021年9月25,26,27日に文章を一部修正しました。


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