*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.23
いまこう推測しました。
小林さんは、「なります」と書かれた駅名標示から、「ボクが何かになります」という駄洒落を考えついた(現実)。ところがその小林さんには、自分がそんな駄洒落を考えついたはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、もしその場面で小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、果して事はどうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。
もしとっていたら、小林さんは、自分がそんな駄洒落を考えついたことに目をみはりながら驚いて、そうした意外な一面が実は自分にもあったことを面白がったかもしれませんね。
けど実際にそこで小林さんがとったのは、後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。自分がそんな駄洒落を考えついたはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。
「ボクが何かになります」という意味もしくは暗号が勝手にボクのもとにやってきて、ボクはそれをただ受けとっただけなんだ、って。
そのように小林さんは、自分の「自信」に合うよう、「現実」を修正した。すなわち、「現実を自分に都合良く解釈」したのではないかということですよ。
いま言ったことを、箇条書きにしてまとめてみますね。
- ①成増駅の「なります」と書かれた駅名標示から、「ボクが何かになります」という駄洒落を考えついた(現実)。
- ②自分がそんな駄洒落を考えついたはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『ボクが何かになります』という意味もしくは暗号が勝手にボクのもとにやってきて、ボクはそれをただ受けとっただけなんだ」(現実を自分に都合良く解釈する)
以上、今回は、小林さんが「僕が『何かになります』という意味、暗号を受け取った」と書いているところに着目し、一歩踏み込んで考察してみました。
みなさん、どうでした?
深読みしすぎと思いました?
たしかに、小林さんのその表現は単なる言葉の綾にすぎなかったのかもしれませんね。本人にはちゃんと、自分が駄洒落を考えついたという認識はあったのかもしれませんね。
ともあれ、(精神)医学に統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきた小林さんがほんとうは「理解可能」であることを、引きつづき、この調子でひとつひとつ確認していきますよ。
次回は8月31日(月)21:00頃にお目にかかります。
2021年9月24,25日に文章を一部修正しました。
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