*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.23
まず光が丘公園に向かうべく、埼京線に乗って池袋で降り、東武東上線に乗り換えて成増に向かった。(略)
成増で降り、どっちが光が丘公園なのかわからぬまま駅を出た。振り向くと、駅舎に「なります」とひらがなで書いてある。僕はそれを見て、ここが石橋貴明の故郷なんだと思うとともに、僕が「何かになります」という意味、暗号を受け取った(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、p.105、ただしゴシック化は引用者による)。
いまさっそく、小林さんが現実を自分に都合良く解釈しているのが見てとれたように思います*1。細かいところですけど、あとで似たような場面がひとつ出てきますし*2、ちょっと見させておいてもらいますね。
小林さんは、成増駅にあった、「なります」と書かれた駅名標示から、「僕が『何かになります』という意味もしくは暗号を受け取った」と書いていましたね。小林さんはその駅名標示を見て、とっさに、「ボクが何かになります」という駄洒落を考えついたのかもしれませんね。
でも、小林さんからすると、自分がその場面で、そんな駄洒落を考えついたりするはずはなかった。いや、いっそ、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには自信があったんだ、って。自分がそんな駄洒落を考えついたはずはないという自信が、って。
で、小林さんは、その自信に合うよう、現実をこう解した。
「ボクが何かになります」という意味もしくは暗号が勝手にボクのもとにやってきて、ボクはそれをただ受けとっただけなんだ、って。
2021年9月24,25日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.22)はこちら。
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