*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.12
さあ、ではまず、Bさんに登場してもらうことにしましょうか。
ジャズ・トランペッターで作曲家のB〔引用者注:ここでは名前は伏せさせてもらいます〕は、統合失調症を克服したミュージシャンとして知られている。Bは、八歳のときからトランペットをはじめ、十代のときには、その才能を示した。頭脳優秀だった彼は、スタンフォード大学に進学するが、その頃から不安定な徴候を示しはじめる。十八歳のとき、突然自殺未遂をして家族をうろたえさせた。しかし、統合失調症と診断されたのは、二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりみられるようになってからである。ある日、オレンジジュースをのんでいると、幻聴が彼に命令したのだ。「窓から飛び出せ」と。Bは、窓ガラスに向かってジャンプした。窓ガラスは割れ、彼は血まみれになったが、辛うじて外に飛び出さずに済み、転落死を免れた(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.93、ただしゴシック化は引用者による)。
俺はこのBさんのことをつぎのように思い描きました。みなさんの想像とつき合わせながら以下聞いてみてくれますか。
ある日Bさんは、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から飛び出して死にたいといった「衝動」に駆られたのではないでしょうか。そしてその衝動に身をゆだね、窓ガラスに突っ込んで行って、結果、血まみれになったということなのではないでしょうか。
ところがBさんにしてみれば、自分がそこで、窓から飛び出そうと意思したりするはずはなかった。いや、いっそ、Bさんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのときBさんには自信があった。自分が窓から飛び出そうと意思しているはずはない、という自信が、って。
で、その自信に合うよう、Bさんは現実をこう解した。
「声」に窓から飛び出せと命じられている、って。
いまこう推測しましたよ。Bさんは窓から飛び出そうと意思した(現実)。だけど、そのBさんには、自分が窓から飛び出そうと意思しているはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、Bさんはその場面で、後者の「現実のほうを修正する」手をとった。つまり、自分が窓から飛び出そうと意思しているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
「声」に窓から飛び出せと命じられている、って。
オレンジジュースを飲んでいるとき、身に湧き上がってきた、窓から飛び出したいという「衝動」をそうしてBさんは、自分にかけられた、窓から飛び出せと命じる「声」ととったというわけですね。
くどいようですが、いまの推測を箇条書きにしてまとめてみます。
- ①オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から飛び出したいという「衝動」に駆られ、その衝動に身をゆだねる(現実)。
- ②自分が窓から飛び出そうと意思しているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「声に窓から飛び出せと命じられている」(現実修正解釈)
2020年5月23日と2021年8月19日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.11)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。