(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「声が命令してくる(幻聴)」を理解する(統合失調症理解#5,6)(1/3)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.12


 この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。


(参考:そのときの記事をいちおう挙げておきますね。)


 そしてそれは、この世に「理解不可能なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたよね。


(参考:そのことを確認したときの記事もいちおう挙げておきますよ。)


 だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。


 たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、「永久に解くことのできぬ謎」だとか、「了解不能」だとかと言ってきましたよね?

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

 

 

 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、p.30、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 ここ最近はずっと統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとに実際に登場してもらい、そのひとがほんとうは理解可能であることを実地に確認しています


 今回もまたそうしますよ。今回は、「幻聴を訴えるとされるひとふたりに登場してもらいますね。


 ただしそのまえに、(精神)医学がその「幻聴」なるものをどんなふうに説明するか、ざっと聞いておくことにしましょうか。

 妄想気分とともに〔引用者補足:統合失調症に〕出現しやすいのは幻聴である。幻聴は「声」「テレパシー」「耳鳴り」と表現されることもある。「耳がうるさい」「周囲が騒々しい」「頭に機械を埋め込まれている」といった言い方をすることもある。


 統合失調症にみられる幻聴には、さまざまなバリエーションがある。もっとも多いのは、批判や悪口が聞こえてくるというもので、一人だけの声ではなく、複数の人の声が陰口を言い合っているという場合もある。複数の人が話を交わす声が聞こえる「対話性幻聴」は、自分の行動を声が逐一説明してくる「注釈幻声」と並んで、統合失調症に特徴的なものとされる。また、自分の考えたことが声になって聞こえる「考想化声」も、特徴的な症状とされる。


「命令」してくる幻聴も多い。「〜しろ」「〜するな」といった形式で、「顔を殴れ」「眠るな」「食べたらダメだ」といった具体的な行動を指示するものから、「戦士になれ」「地球を救え」といったもう少し抽象的な命令を下すものもある。幻聴のいいなりになり、操られる場合も少なくない。自分の意思とは無関係に、ある行動をさせられてしまうと感じるものを「作為体験」というが、幻聴に命じられるままに行動するという場合が多い。患者本人にとっては、幻聴の声は、神の啓示に似た強い呪縛力、迫真性をもって感じられる。幻聴だとわかるようになっても、その内容を完全に無視することは難しく、影響を受けてしまうことが多い(前掲書pp.92-93)。


 何を言っているのか、イマイチよくわかりませんでしたね。でも、わかる必要などまったくないということが、これから考察を実地に進めていくうちに、ハッキリしていきますよ。


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前回の短編(短編NO.11)はこちら。


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