*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.40
目次
・3つの事例をとり挙げる
・肉まん放置事件
・「おしゃれっぽい、かわいい、きれい」と聞こえてくる
・授業中、先生がわたしのことを話している
・すべての事例で共通して起こっていたこと
・肉まん放置事件returns
◆3つの事例をとり挙げる
この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを、かつて論理的に証明しましたよね。
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その証明をしたときの記事をいちおう挙げておきますね。
(注)もっと簡単に証明する回はこちら。
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そしてそれは、この世に、「理解不可能」なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事もいちおう挙げておきますね。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってきましたよね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に説くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
最近は、(精神)医学に統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
今回もおなじことをしますよ。
故Dさんは自身のことをこう語っています。以下、その話のなかに出てくる、統合失調症の症例とされる3つの事例(ゴシック化した部分)をもちいて、今回は考察を進めていきます。
幻聴がしょっちゅう聞こえるようになって一七年が経った。今年(二〇〇四年)の夏で一八年に入る。高校生のとき、授業中に先生がわたしのことを話しているような気がした。授業が終わった後に聞いてみると、「それは空耳だよ」という返事だった。
わたしは幼いときからずっと情緒不安定だった。両親が厳しすぎるくらい厳しく、小学生のとき門限が午後四時だった。放課後学校でドッジボールをしている級友をうらやましく思いながら帰宅しなければならなかった。
帰ると、スパルタ式に母がわたしに勉強を教えた。母が一生懸命に教えても、わたしは飲み込みが悪く、そして不注意で、「㎏」と「㎞」を間違えたりした。母も苦労したと思う。ちゃぶ台で勉強しているわたしの背中を母が蹴って、ちゃぶ台とわたしが一緒に庭に飛ばされたこともあったが、現在も母とわたしはうまくいっており、いまではそれもなつかしい楽しい思い出である。
母が勉強を見てくれて、女子ばかりの私立の中学を受験し入学した時点で安心してしまい、まったく勉強しなくなった。両親は、さらにレベルの高い大学に行くことを希望していたが、高校、大学とエスカレーター式で行くことになってしまった。
中学から大学まで宿題、予習、復習を怠ることが多く、提出物も期限を大幅に過ぎてから出すという周囲から見ると不まじめで怠惰な学生だった。大学は一〇分以上遅刻すると欠席になるという規則だったが遅刻・欠席がほとんどで、授業に出席するふりをしてデパートで遊んだり、映画を見にいったりしていた。単位もほとんど取得することができなかった。
大学一年のときには、自分が人に良く言われているような幻聴が始まっていた。合唱部にいたのだが、部活から家に帰るときに「おしゃれっぽい、かわいい、きれい……」などと聞こえたような気がして、解放感でいっぱいでフワフワとしていた。
大学で遅刻・欠席をたくさんしてしまい、ほとんどすべての科目の単位を落として両親をひどく悲しませてしまった。
大学二年生のころになると、幻聴がわたしのことを非難しはじめた。
春休みに女の子三人で横浜に旅行したことがある。中華街で歩いていたときのことである。一人が肉まんを食べていて、「もういらない」と言ってそれを道端に置こうとした。そのとき「そんなことすると片付ける人に悪いから、地面に置かずにごみ箱に捨てよう」と言いたかったのだが、そのときなぜか言えなかった。一緒に旅行するくらいの仲ではあったが遠慮して言えなかったのだ。そしてわたしの友人が肉まんを下に置いた瞬間に「デブ、ブス……」という声が聞こえはじめた。わたしは合唱部で副指揮者をしていたので、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」とも聞こえた。
その旅行から帰ってしばらくして、ふだんの様子と違うことに気づいた両親に勧められて、初めはいやだったが割とすんなりと精神科を受診した(浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』医学書院、2005年、pp.64-66)。
2021年8月12日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.39)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。