*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.40
◆肉まん放置事件
故Dさんがちょうどいま、「デブ、ブス……」という幻聴が聞こえてきたと言っていた肉まん放置事件から、考察をはじめることにしましょうか。
友人のひとりが道端に肉まんの食べかけを捨てようとしたとのことでしたよね。Dさんは「そのとき『そんなことすると片付ける人に悪いから、地面に置かずにごみ箱に捨てよう』と言いたかったのだが、そのときなぜか言えなかった。一緒に旅行するくらいの仲ではあったが遠慮して言えなかった」とのことでしたね。「そしてわたしの友人が肉まんを下に置いた瞬間」、Dさんは不意に、他人からの評価を気にしはじめたのかもしれませんね。
友人にロクに注意もできないこんな頼りのないわたしのことを常々、周りのひとたちは、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と思っていたのではないか、って。
だけど、Dさんからすると、自分がそこで、他人からの評価を気にし出したりするはずはなかったのではないでしょうか。
いや、いっそ、Dさんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのときDさんには、自分が他人からの評価を気にしているはずはないという自信があったんだ、って。
いまこう推測しましたよ。
友人に注意できなかったことをきっかけに、Dさんは他人からの評価を気にし出した(現実)。友人にロクに注意もできないこんな頼りのないわたしのことを、周りのひとたちは常々、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と思っていたのではないか、って。ところが、そのDさんには、自分が他人からの評価を気にしているはずはないという「自信」があった。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう、訂正する。
- B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう、修正する。
では、もしその場面でDさんが、前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたらどうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。もしその手をとっていたら、Dさんは目を丸めながら、認識をこう改めることになっていたかもしれませんね。
思ってもみなかったことだけど、わたしには他人からの評価を気にするところがあるんだな、って。
でもDさんがその場面で実際にとったのは後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。自分が他人からの評価を気にしているはずはないとするその自信に合うよう、Dさんは現実をこう解した。
「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と言う声が聞こえてくる、って。
いまの推測を箇条書きにしてみますね。
- ①友人にロクに注意もできないこんな頼りのないわたしのことを、周りのひとたちは常々、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」と思っていたのではないか、と気になっている(現実)。
- ②自分が他人からの評価を気にしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない』と言う声が聞こえてくる」(現実修正解釈)
2021年8月12日、同年11月16日に文章を一部訂正しました。
*前回の短編(短編NO.39)はこちら。
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