*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.33
この世に異常なひとなどただの一人も存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。
-----
そのときの記事をいちおう挙げておきますね。
(注)もっと簡単にそのことを証明する回はこちら。
-----
そしてそれは、この世に、「理解不可能」なひとなど、ただの一人も存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
-----
そのときの記事もいちおう挙げておきますよ。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
-----
だけど、医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、「理解不可能」であるということにして、差別してきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言って、侮辱してきましたね?
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていた〕「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に説くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。
最近はずっと、(精神)医学に統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しています。
今回もまたそうしますよ。今回は、「思春期に発症し典型的な経過がみられた統合失調症のケース」*1とされる事例を見させてもらいますね。
これから、その当事者であるNさんが19歳時に自殺を企図するに至るまでを3部に分け(そのそれぞれを、引用第1部、引用第2部、引用第3部と呼ぶことにします)、じっくり確認していきます。
- 引用第1部:中学生時代まで
- 引用第2部:高校3年生、浪人1年目
- 引用第3部:浪人1年目終わり頃から、浪人2年目
2021年8月13日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.32)はこちら。
*Nさんのこの事例は全6回でお送りします(今回はpart.1)。
- part.2(短編NO.34)
- part.3(短編NO.35)
- part.4(短編NO.36)
- part.5(短編NO.37)
- part.6(短編NO.38)
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。