*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.19
いまの推測をざっと頭から簡単にふり返ってみますよ。
真うしろに座っている女子生徒が下じきでその仏頂面を扇いでいるのを見て、ボクが臭いんだと思い込んだ加賀谷少年は以後いろんな場面で、心配に襲われるようになった。ひとに臭い匂いで嫌な思いをさせ、恨まれているのではないか、って(現実)。ところがその加賀谷少年には、そんな心配をしているはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、加賀谷少年はそうした場面で、その都度、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。自分が心配しているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解しつづけた。
「カガヤ臭い」とボクを責める声が聞こえてくる、って。
いま見ましたところを、箇条書きにしてまとめるとこうなります。
- ①ひとに臭い匂いで嫌な思いをさせ、恨まれているのではないかと、いろんな場面でひどく心配になる(現実)。
- ②そんな心配をしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『カガヤ臭い』とボクを責める声が、至る所で聞こえてくる」(現実修正解釈)
◆「現実」を「予想」のほうに合わせる
さて、いま、ハウス加賀谷さんのいわゆる幻聴体験について、こう推測しました。ハウス加賀谷さんは現実修正解釈をしていたのではないか、って。この現実修正解釈については、最近ずっと見てきていますね。この短編集の短編No.8からずっと、ね(今回は短編No.19)? 統合失調症と診断されたひとたちがそうした解釈をしているのを、ね?
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短編No.8からNo.18までは下のリンク先にあります。
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その現実修正解釈というのは、いまも確認しましたように、「現実」と「自信」とが背反したときの一操作のことです。けど、それは、「現実」と「予想」とが背反したときの一操作と言い換えることもできます。
つまり、「現実」と「予想」とが背反するに至ったときに、その「予想」に合うよう「現実」を修正する操作でもあるんだ、って。
要するに、ここまで説明で挙げてきた「自信」を、「予想」と言い換えられるということですよ。
どういうことか、イマイチわかりにくいですか? では、ハウス加賀谷さんのいまさっきの体験を再度もちいてじっくり確認してみましょうか。
2020年9月30日に表現を一部修正しました。また2021年9月13,15日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.18)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。