*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.12
引きつづき、幻聴を訴えるとされるもうひとりに登場してもらいます。
ある若者は、よく「奴隷になれ」という声が聞こえてくると訴えた。若者は気弱な性格で、自分のしたいことがあっても、抑えてしまうところがあった。本当は、進みたい分野があったのだが、周囲の勧めに従ってそれは諦め、別の分野に進んだのだ。若者の気持ちの奥底には、自分は他人の意思に隷属させられているという思いがあったと考えられる(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、pp.94-95、ただしゴシック化は引用者による)。
若者には、自分のしたいことが他にあっても、まわりのひとたちの言いなりに「なろう」とするところがあった(現実)のかもしれませんね。
でも、この若者からすると、自分がそんなところで、ひとの言いなりになろうとしたりするはずはなかった。いや、いっそ、若者のその見立てについても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき若者には、自分がまわりのひとたちの言いなりに「なろう」としているはずはない、という自信があったんだ、って。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手はやはり、つぎのふたつのうちのいずれかではないかと俺には思われます。
- その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、若者はその場面で後者の「現実のほうを修正する」手をとった。自分がまわりのひとたちの言いなりに「なろう」としているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
「声」が、言いなりになれ(奴隷になれ)と言ってくる、って。
そうして若者は、ひとの言いなりになろうとする自分の「意思」を、ひとの言いなりになれと命じてくる(何者かの)「声」ととったのかもしれませんね。
いまの推測を箇条書きにしてまとめると、こうなります。
- ①ひとの言いなりに「なろう」とする(現実)
- ②自分がひとの言いなりに「なろう」としているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「声が、言いなりになれと言ってくる」(現実修正解釈)
さあ、ここまで、「幻聴」なるものを訴えるとされるふたりのひとを見てきました。どうでした? みなさん、そのひとたちのことを、ほんとうに「理解不可能」だと思いました?
いや、むしろ、「理解可能」だと確信したのではありませんか。
もちろん、トランペッターBさんとこの若者のことをいま完璧に理解することができたなどとは俺自身、まったく思いませんよ。正直な話、多々誤ったふうに決めつけてしまったのではないかと、反対に気が咎めているくらいですよ。
だけど、そうは言ってもさすがに、そのふたりがほんとうは「理解可能」であるということは、いまの考察からでも、十分明らかになりましたよね? みなさんのように申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、そのふたりのことが完璧に理解できるということはいま十分、示せましたね?
今回は、「声に命じられて窓から身を投げようとした」と言うトランペッターBさんと、「奴隷になれという声が聞こえてくる」と訴える若者に登場してもらい、(精神)医学に統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたそのふたりがほんとうは「理解可能」であることを実地に確認しました。
次回は2週間後、5月4日(月)21:00頃にお目にかかります。Stay home! Stay safe!
2020年4月23日に、内容はそのままに、一部言葉を付け加えました。また2020年5月23日と2021年8月19日に文章を一部修正しました。2023年3月12日にも文章を一部修正しています。
*今回の最初の記事(1/3)はこちら。
*前回の短編(短編NO.11)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。