*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.10
◆すべての場面で起こっていたことは何か
さて、ここまで、場面を5つに分けて見てきました。どの場面でもAさんの身におなじことが起こっていたのが確認できましたね。まず、Aさんのもっている「自信」と、Aさんの直面している「現実」とが背反していました。そのように「自信」と「現実」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、ずっと言ってきましたように、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- ア.そうした背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- イ.そうした背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、Aさんはどの場面でも、後者イの手をもちいていました。この現実修正解釈こそ、Aさんがその5つの場面のすべてでやっていたことでしたね。
5つの場面すべてでAさんがしていたそのこと(ただし場面2での一部を除く)を箇条書きにしてまとめるとこうなります。
- ①ひとにどう思われているのか気になる(現実)
- ②「ひとにどう思われているかを気にしているはずはない」という自信がある(現実と背反している自信)
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「わたしのことを嗤ったり噂したりしているのが、聞こえてくる」(現実修正解釈)
さあ、いま、Aさんは5つの場面すべてで、自分の「自信」に合うよう、「現実」のほうを修正していたのではないかと俺、言いました。だけど、もちろん、Aさんを批判するつもりでそんなことを言ったのではありませんよ。そうした現実修正解釈は、Aさんだけがしていることではありませんよね? 程度の差はあれ、ふだん世間の誰もがしていることですね? みなさんもしていますし、俺もしていることですね? 俺がここで声を大にして言いたいのはむしろこういうことですよ。
世間の誰もが、そうした現実修正解釈を日々している。したがって、自分のことをふり返ることのできる誠実なひとになら誰にでも、そんな自分を参考に、いま見た5つの場面でのAさんの現実解釈を理解することができるはずだ、って。
とはいえ、正直な話、俺には、Aさんのことをいま完璧に理解し得たと言うつもりは、当たれ前ですが、まったくありません。たしかに、Aさんが苦しんでいたことや、居場所をどんどん失い、追い詰められていくさまは、手にとるように見ることができたと確信していますけど(Aさんのその苦しんでいる姿に共感したひとは多かったのではないでしょうか)、Aさんのことを多々誤ったふうに決めつけてしまったのではないかとかなり気が咎めますよ。
ただ、ある種の手応えを感じているのは事実です。(精神)医学に統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたAさんが、実はそうした(精神)医学の見立てに反し、ほんとうは「理解可能」であるということは、いまの考察からでも十分明らかになったのではないか、って。
みなさんのように申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、Aさんのことを完璧に理解することができると示すくらいのことは十分にできたのではないか、って。
Aさんが「理解可能」であることはもはや明らかだと言っても、みなさん、構いませんよね?
2020年4月18日に、内容はそのままに文字を一部追加しました。また同年5月23日、2021年8月9,10,11日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/10)はこちら。
*前回の短編(短編NO.9)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。