*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.16
◆推測その2(ああだこうだと考えてしまう)
だけど、真相はむしろ、つぎのようなことであるかもしれないと俺には思われないでもありませんよ。
すなわち、Dさんは、ひとと目が合ったり、すれ違ったりしただけでも、内心悪く思われたのではないかと気になって平静さを失い、「ああだこうだ」と考えはじめてしまう(あるいは、「ああだこうだ」と独りごちはじめてしまう)。自分はほんとうに悪く思われたのだろうか、とか、自分の何がいけないのか、とか、今後どうすれば自分は悪く思われないで済むのだろうか、といったようなことを。そして、胸の辺りが嫌ァな気持ちでいっぱいになる(現実)。
ところが、Dさんからすると、自分がそうした場面で、平静さを失ったりするはずはなかった。いや、Dさんのその見立てを、ここでも、先ほど同様、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そうしたときのDさんには自信があるんだ、って。自分はふだんどおり平然としていられているはずだという自信が、って。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、やはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、Dさんはその場面で、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとる。自分はふだんどおり平然としていられているはずだとするその自信に合うよう、現実をこう解する。
目が合ったり、すれ違ったりしたあと、ひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて勝手に「ああだこうだ」と喋ったり、胸のところに入り込んできて不快なことをしはじめたりするんだ、って。
つまり、Dさんはそうして、「自分が平静さを失い、『ああだこうだ』と考えている(もしくは独りごちている)」という現実を一転、「さっきのひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて喋っている」ということにし、また「自分が胸の辺りに不快感を覚えている」ということについても、「平然としているわたしの胸のなかに、さっきのひとが入り込んできていやらしいことをしている」ということにするのかもしれない、ということですよ。
くどいですけど、いまの推測についても箇条書きにしてまとめてみます。
- ①ひとと接すると、内心悪く思われたのではないかと気になって平静さを失い、「ああだこうだ」と考えはじめてしまう(もしくは独りごちはじめてしまう)。そして胸の辺りが嫌ァな気持ちでいっぱいになる(現実)。
- ②自分はふだんどおり平然としていられているはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解する。「さっきのひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて勝手に『ああだこうだ』と喋ったり、わたしの胸のところに入り込んできて不快なことをしはじめたりするんだ」(現実修正解釈)
2021年9月11日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.15)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。