*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.16
「勝手に入ってくるんです」
二十代の女性患者は、いつも自分の身に起きている不快な出来事を、早口でまくし立てた。
「口の中や喉に、入ってくるんです。入ってきて、そこで勝手に喋ってるんです。胸のところにも入りこんで、そこでいやらしいことをはじめるんです」。
この女性の症状は、幻聴と、他者が自分の中に侵入してくるという体感的な幻覚妄想がからまり合ったものだが、他者の侵入や蹂躙を防ぎ止めることができないという点で共通していた。
この女性は、他者と目が合ったりすれ違ったりしただけで、相手が体に取り憑いてくる、侵入してくると感じ、そのため、人の中に入っていくことにも、裸の姿をじろじろ見られたり触れられたりするような苦痛を感じるのだった(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.98、ただしゴシック化は引用者による)。
◆推測その1
みなさんは、ひとと接するのが得意ですか。
俺はどちらかというと、苦手なほうですよ。
この女性患者さん(以後、Dさんと呼びますね)はどうでしょうね? 苦手なように見えませんでした? Dさんは、ひとと目が合ったり、すれ違ったりしただけでも、「なんて面してんだ」とか「バカそう」とかと思われたのではないかと気になって、胸の辺りが嫌ァな気持ちでいっぱいになるのかもしれませんね。
Dさんはひょっとすると、そんなふうに、ひとと接するとすぐ平静さを失ってしまうのかもしれませんね。
でも、そうなっても、Dさんには自信があるのではないでしょうか。自分はふだんのように平然としていられているはずだといった自信が。で、その自信に合うよう、Dさんは現実をこう解する、ということなのかもしれませんね。
目が合ったり、すれ違ったりしたあと、ひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて勝手に「なんて面してんだ」とか「バカそう」とかと喋ったり、胸のところに入り込んできて不快なことをしはじめたりするんだ、って。
そのようにしてDさんは、「自分が他人にコレコレこんなふうに悪く思われているのではないかと気にしている」という現実を一転、「平然としているわたしの口や喉のなかに他人が入ってきて、アアダコウダと悪口を言っている」ということにし、かたや「自分が胸の辺りに不快感を覚えている」ということについても、「平然としているわたしの胸のなかに他人が入り込んできていやらしいことをしている」ということにするのかもしれませんね。
いま、こういった推測をしましたよ。
Dさんは、ひとと目が合ったり、すれ違ったりしただけでも、内心悪く思われたのではないかと気になって、胸の辺りが嫌ァな気持ちでいっぱいになる(現実)。だけどそうなっても、Dさんには「自信」がある。自分はふだんどおり平然としていられているはずだといった自信が。そのように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- A.現実に合うよう、自信のほうを修正する。
- B.自信に合うよう、現実のほうを修正する。
で、Dさんはその場面で、後者Bの「自信に合うよう、現実のほうを修正する」手をとる。すなわち、自分は平然としていられているはずだといったその自信に合うよう、現実をこう解する。
目が合ったり、すれ違ったりしたあと、ひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて勝手にわたしの悪口を喋ったり、胸のところに入り込んできて不快なことをしはじめたりするんだ、って。
くどいですけど、箇条書きにしてまとめてみますね。
- ①ひとと接すると、内心悪く思われたのではないかと気になって、胸の辺りが嫌ァな気持ちでいっぱいになる(現実)。
- ②自分はふだんどおり平然としていられているはずだといった自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解する。「さっき接したひとが、平然としているわたしの口や喉のなかに入ってきて勝手にわたしの悪口を喋ったり、胸のところに入り込んできて不快なことをしはじめたりするんだ」(現実修正解釈)
前回の短編(短編NO.15)はこちら。
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