*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28
いまさっき、こう言いましたよね。小林さんは何かの拍子に、ふだんよく耳にするフィル・コリンズの曲を頭のなかでつい再生してしまったのかもしれませんね、って。
でも、小林さんには、自分がそこでそんなことをするなんて、まったく思いも寄らなかったのかもしれませんね。
いや、いっそ、そのことも裏返しにして、語弊を怖れながらも、愚直にこう言い改めてしまいましょうか。
そのとき小林さんには、自分がフィル・コリンズの曲を頭のなかで再生しているはずはないという「自信」があったんだ、って。
で、その自信に合うよう、小林さんは、現実をこう解した。
フィル・コリンズの曲がボクの頭のなかに流れてきた。さては、フィル・コリンズがわざわざ交信してきてくれたんだな。そして「僕の心臓の鼓動を支えるようにドラムを叩いてくれ」ているんだな、って。
いまの推測をふり返ってみますよ。
小林さんはフィル・コリンズの曲を頭のなかで再生していた(現実)。しかしその小林さんには、自分がそんなことをしているはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかなのではないかと俺には思われて、仕方がありません。
- A.「現実」に合うよう、「自信」のほうを訂正する。
- B.「自信」に合うよう、「現実」のほうを修正する。
で、この場面でも小林さんは後者Bの「自信に合うよう、現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分がフィル・コリンズの曲を頭のなかで再生しているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
フィル・コリンズの曲がボクの頭のなかに流れてきた。さては、フィル・コリンズがわざわざ交信してきてくれたんだな。そして「僕の心臓の鼓動を支えるようにドラムを叩いてくれ」ているんだな。
箇条書きにしてみるとこうなります。
- ①フィル・コリンズの曲を頭のなかで再生している(現実)。
- ②そんなことをしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さては、フィル・コリンズがわざわざ交信してきてくれたんだな。そして『僕の心臓の鼓動を支えるようにドラムを叩いてくれ』ているんだな」(現実を自分に都合良く解釈する)
2020年9月29日に表現を一部変更しました。
次回は10月5日(月)21:00頃にお目にかかります。
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前回の短編(短編NO.27)はこちら。
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